【境界線上に立つ 第1回】苦しみつつ志向する時間や空間を

現代社会をサバイブする 本紙企画連続対談

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対談者:松岡千紘(ラッパー・大学院生)×山下耕平(NPO法人フォロ)

 本紙では「境界線上に立つ」をテーマに、連続対談を進めている。第1回目は、「現代社会をサバイブすること」をサブテーマに、山下耕平さん(NPO法人フォロ)と松岡千紘さん(ラッパー・大学院生)にお話しいただいた。ひきこもりや女性の生きづらさなどを起点としつつ、「ニート」など抑圧する名指し、抵抗・社会問題化としての名乗りなど、境界線は交差・複合する。生きづらさを抱えた個人を起点にしつつ、「個人的なことは政治的なこと」という視点から、対談内容をお届けする。(編集部)

「正解」がなくなり皆が迷子の時代

山下:私は不登校やひきこもりの問題に関わってきました。いま、不登校の子どもは、中学校だとクラスにひとりの割合でいます。不登校が問題化され始めて50年、教育行政も学校も、「学校に戻すこと」を「支援」としてきたわけですが、子どもが行きたくなくなるような学校のあり方こそ問われるべきです。
 不登校が問題になった背景には、経済的理由や病気ではなく、一見、明確な理由が見当たらなかったことがあります。それだけに、親の育て方の問題にされたり、本人の怠けの問題とされたんですね。
 しかし、考えてみたら、学校にはおかしなところがいろいろありますよね。たとえば、「前へならえ」とか「回れ右」とか、何の意味があるかわからない(笑)。同じ年齢の子どもたちが同じ方向を向いて、同じ内容の授業を全国各地で同じように受ける。そんな場所に違和感を覚える子がいて当然です。それでも、「いい学校→いい会社」という物語が共有されていた時代は、その違和感は抑圧されていたわけです。
 そうした中、70年代後半から、不登校の親の会が立ち上がり、まずは親から、問いが反転されていきます。また、80年代半ばからはフリースクールなどが立ち上がっていきました。一方では、「戸塚ヨットスクール」のように、スパルタ的手法で子どもを叩き直そうとして死亡事件まで起こす事例も発生しました。
 いずれにしても、当時の親世代は「いい学校→いい会社」の物語に自分たちは乗っていて、にもかかわらず、わが子がその物語に乗らなかったことで混乱し、さまざまな悲喜劇が繰り返されてきたと言えます。
 しかし、最近では、親世代も旧来の物語に乗っかれなくなってきて、力学が変わってきたように思います。たとえば、私たちが開いている「づら研」(生きづらさからの当事者研究会)には、親世代が参加することもあります。かつての親の会のように、「わが子がなぜ?」と集まるのではなく、自分自身が生きづらくて参加しているんです。生き方に「正解」がなくなり、大人世代も含めて、みんなが「迷子」になったと言えます。
 また「正解」がなくなってしまったことは、そこに乗らないことへの抑圧が減った反面、どこにいても輪郭が掴めない苦しさを抱えることにもなったと言えます。それゆえ言葉にしづらく、自己責任として内面化し孤立しがちです。自分の心理の問題として、医者やカウンセラーにかかっている人も多いです。
 ですが、診断名や「不登校」「ひきこもり」「ニート」など、外からの名づけではひもとけないものがある。そうした中、「生きづらい」という言葉が出てきた。生きづらいというのは、さまざまな当事者の内から出てきた言葉で、それだけに、横断的につながることができるように感じています。

言語化できなかった苦しさ

松岡:境界線とは、なにを境界線とするのか。国家や周囲の同調圧力、望まなくても男/女で分類されることがまずあります。そこには外からの名付けとまなざしがあると考えています。たとえば、日々のコミュニケーションの中で言えば「奥さん」という名づけがあります。「家の奥にいるから奥さん」というまなざしが入っているわけです。不登校というのも、学校という規範に乗っかれているものが「普通」で、そうじゃないものをまなざすネガティブなイメージなのだと思います。その名づけに対する拒否感もあるのですが、一方で私は代弁されることへの違和感があります。
 私はいま、大学院生で、大学入学前の24歳で結婚、26歳で出産しました。小さいころから虫や生き物が好きでした。小学校高学年から同級生たちの会話がファッションや芸能人中心の話になり、コミュニケーションについていけず、プレッシャーを感じていました。「普通になりたい」という気持ちが思春期を経て強まり、中高生時代は、ジェンダー規範に追いつこうと、「女らしく見せること」を追い求めました。
 当時、私は「痩せ」にこだわっていて、体重計が唯一、嘘のない努力の結果を数字で示してくれるものでした。食べては吐いてを繰り返し、19歳のころに医者に「摂食障害」と診断されました。「普通」にしがみつくことが苦しいのに、言語化できず、私は自分が悪いものだと思っていました。
 大学入学後、人権論の講義の中でフェミニズムに出会いました。私が苦しかったことに名前がついた瞬間です。当時、元夫との関係があり、それを「私のせい」と捉えていました。フェミニズムは、「私の問題」となる自己責任を「社会の側の問題だ」とし、境界を超えさせてくれました。責任を自分の側から社会の側へと投げ返すことができました。
 自分の苦しさを出発点に、実存的な動機で勉強を進め、いまは大学院でジェンダー法学を学んでいます。たとえば、日本国憲法は「男女平等」を宣言しているのに「どうして私は苦しいのか?」と、現実との落差があります。憲法は「自由主義」である一方、ジェンダー規範はあらゆるところに張り巡らされています。不平等を前に形式的に平等だと宣言することで、現実の不平等がそのまま不平等な結果に結びついています。
 大学2回生のころに、「若者で考える未来ネットワーク」を結成して、デモなどを仲間たちと企画しました。しかし、その活動の中にある社会的矛盾、人権侵害、内と外、普通と非普通など、掘り下げていく中で身動きが取れなくなりました。私の思考のペースが追いつかず、実利によって大事なことを捨てて、前に進みたくはありませんでした。葛藤やもやもやしたものから次第に疲弊して、いまは一旦、撤退しています。

 女性という一つのカテゴリーによって、共通して受ける差別と経験があると思うのですが、そこに回収できない、割り切れない苦しさがあります。
 たとえば、歴史的な話で言うと、学生運動は資本主義における階級問題を打倒することを一つの軸としていました。しかし、運動の中で女性が現場で担わされたのは「おにぎり隊」です。「女性は裏方」の分業でした。抑圧を解放する運動の中に、女性の抑圧があり、抑圧を告発する形で、ウーマンリブが出てきました。
 ウーマンリブや女性の連帯は、女性に共通する社会的抑圧からの解放を求めました。しかし、女性間の中で出てきた問題が、所得格差や民族、国籍などの違いです。アメリカで言えば、中産階級女性の運動として、全米女性機構が出てきたのですが、それに対して、黒人女性が「中産階級の白人女性中心で、私たちはそこに入れない」と異議を唱えた、ブラック・フェミニズムがありました。また、「異性愛者中心の運動でアイデンティティがレズビアンである私たちは入れない。女性といっても多様だ」と異議申し立てするレズビアン・フェミニズムをはじめとした運動がありました。
 女性に共通した抑圧がある一方、女性と一括りに言えない難しさがあり、複線のように境界線があります。そこを左翼から「分断だ」と批判するのか? あるいは「一緒に豊かに生きることを求めていく」にはどうするのか? と考えています。

「不登校」の歴史的変遷

山下:不登校でも同じようなことはあります。1960年代までは、長期欠席というのは経済的理由や病気が多かったんですが、高度経済成長のなかで、理由のハッキリしない「不登校」が増えていくわけです。それは中産階級がつくられていった時代とリンクします。また、一見、階級差が見えなくなって、サラリーマン家庭が増えていくなかで、「いじめ」という名詞が80年代半ばから浮上する。それまでは差別としてのいじめだったのが、80年代半ば以降の「いじめ」は、特定のターゲットを問わないものです。
 子どもたちが同質集団になっていくなかで、「ノリが悪い」などの少しのちがいで、誰もがいじめの対象になる。だから、いじめに加担せざるを得ない。そうした息苦しさから不登校も起きてきたと言えます。ところが、バブル崩壊後、格差が広がっていくなかで、子どもの貧困も拡大しています。相変わらず、同質集団の息苦しさがある一方、貧困問題が新しいかたちで拡大している。
 長期欠席の問題は、これまでの不登校の文脈だけでは捉えられなくなっています。そこには、松岡さんの話されたジェンダーにおける問題と同じ構造があると思います。

産業構造の変化と「空気読め」と圧力

司会:職場などの社会のさまざまな場において、コミュニケーション能力が求められる現代ですが、フォロに参加している当事者にどういう風に向き合っているのですか。
山下:向き合っていません(笑)。もちろん進学や就労を否定しているわけではありませんが、フォロは、そのための場所ではないんですね。評価のまなざしで見られない場所であることが大事だと思っています。
 フリースクールでは、勉強をしている子も、ギターをひいている子も、ひたすらゲームをやっている子も、ゴッチャです。「いるだけで、いい」をキャッチコピーにしています。言ってみたら、子どもにも若者にも、安倍政権が言う「一億総活躍」みたいな寝言から身をかわせる場所が必要なんだと思います。
 そもそもコミュニケーション能力が求められるようになった背景には、産業構造の変化があります。第1次、第2次産業が主流だった時代には、さほど求められなかったものですよね。それが第3次産業が中心になってくると、コミュニケーションが能力として強く要求されるようになった。
 そしてコミュニケーションのハードルが高くなるなかで、「空気を読めない」人たちが問題になってきました。そういう人たちが「発達障害」と診断されていたりするわけです。発達障害のなかでも、自閉症スペクトラムについては、従来の自閉症の枠が拡がって、より軽度の人が問題化されてきた経緯があります。とりわけ日本は「空気を読め」と言う同調圧力が強い社会ですからね。  つまり、大づかみに言えば、社会のあり方を問わないで、そこでやっていけなくなった個人を支援するといっても、欺瞞だと思うわけです。あるいは「元気になりました」みたいな成功例を提示して、自分たちの活動に意義があるようなことを言っているのを聞くと、さぶいぼが出ます(笑)。
 どこに行っても、お金を稼ぐ能力の高い人間のみに価値があるとまなざす社会に対して、そうではない空き地みたいな場所を、ささやかでも、あちこちにつくる必要があると思っています。それは逃げ場や避難所とも言えますが、再生産のための道具としての場所ではないと思うんですね。世の中には、生産的な価値に対して、逆立している場所が必要なんだと思います。

松岡:まなざされない場所の大切さはすごく感じます。私の娘は去年、発達障害という診断を受けまして、「まさか」と思いました。ただ、「こだわりが強いな」と思っていました。こだわりを、個性だと受け止めて育ててきたのですけれど、「発達障害がどういうものなのか」と情報収集を始めました。
 情報収集したところ、「これ、私のことを書いてるやん」と思ったんです。発達障害の特徴として挙げられているものは、コミュニケーション能力の問題です。山下さんは、コミュニケーション問題を産業構造の変化や、日本社会の同調圧力だとしましたが、問題を抱えて会社や学校で居場所がない人が心療内科の受診に行っているようです。私自身、心療内科を予約したところ、大人の発達障害は診察4カ月待ちの飽和状態で、多くの人が駆けつけています。
 一方で私は「発達障害」と診断されたほうが楽だと思うこともあります。「自分のせいじゃない」という理由がほしいのです。しかし、「障害のせいと言っていいのか?」ともやもやします。「期待された一般的な振る舞い」ができない、コミュニケーション能力の無さを「私自身の欠損」みたいな感覚で受け止めています。
 こういう考え方をすること自体、私は未だに「呪縛のような同調圧力」にとりつかれています。さきほど、ジェンダーについて「境界を超えた」と言いましたが、一筋縄ではいかず「行ったり来たり」の状態です。社会規範や規律訓練されたところから脱せれないから、生きづらいです。

「名づけ」の功罪

山下:診断名には功罪があります。おっしゃるとおり、診断名がつくことで、しんどさの理由がひもとけることもあります。また、自分ひとりの問題ではなく、自助グループなどで仲間と出会い、孤立せずに考え合うこともできる。そういうなかで、「自分がおかしいのではなく、これは自分の性分と社会とのミスマッチが起きているのだ」とわかってくる。
 一方で、発達障害とひとくくりに言ってもさまざまですし、第一、人は発達障害の部分だけで生きているわけではありません。発達障害当事者でも、それぞれの違いが当然あるわけです。名づけというのは、常にある側面だけを切りとってしまう。
 また、発達障害というのは、治るものではなく、性分です。「治す/治さない」ではなく、ある性分によって人が生きづらいとしたら、その社会をノーマライズしなければいけません。社会のインフラや人々の意識を変えていくことが必要です。しかし、実際にはそうなってないから、摩擦が多くて消耗し、うつ病などの二次障害が出てくる。
 発達障害で精神科医療を必要とするのは、おもに、うつ病などの二次障害の部分です。性分そのものは「治す/治さない」という話ではありません(ADHDについては行きすぎた薬物療法が問題になってますが)。つまり、社会の側に必要なのは「合理的配慮」ですね。

松岡:絡まりが難しくて、ノーマライゼーションの発想でいうと社会を変えたいと思うし、一方でジェンダー規範などの社会システムに乗っかる方が社会や人間関係の摩擦が少ない。抗うことは摩擦が起きて私自身が苦しいです。女性差別で苦しんでいる人に「一緒に戦おう」と言いたいのですが、摩擦が起きることは、本人にすれば苦しいことです。社会の枠組みはすぐに変えることができません。
 娘に対しては、「この社会の枠組みで生きていけるように、規律訓練をやらせるのか」と板挟みもあります。社会に適合させるような接し方をするべきなのか? それとも、「苦しいけれど、摩擦する道もあるんやで」と自分を持つことを伝えていく努力をするのか? というジレンマがあります。

山下:子どもの苦しみを親が代わることはできませんから、本人が向き合っていくしかないでしょうね。でも、苦しむ子どもを見たくないですし、親はおろおろ悩むしかないのかな、と思います。
 この社会に適合できたほうが摩擦が少ないのは確かにそうでしょうけれども、そう思ってがんばり続けたあげく、結局ははじかれてしまっている人も多くいます。いずれにしても、そんなにスムースに生きていけるわけではないですから、右往左往、試行錯誤しながら生きていくほかない。親は、本人に先立たないことが大事だと思います。
 ある精神科医が「人間は軽いうつぐらいがちょうどいい」と言ってました。毎日テンション高く生きているほうが、ちょっとおかしい。なのに、軽いそう状態じゃないと生きていけないような社会があるから、薬をかじりながらがんばることになってしまっている。
 あるいは、このモヤモヤとした生きづらさのなかで、それを言語化できずに、その耐えきれなさから自傷や依存症などに結びついてしまってる。それは、とても苦しいことにちがいありません。でも、それはこの社会へのノーサインでしょうから、そのノーサインを自分に閉じ込めないで、他者と共有していくことが、痛みとともに可能性にもなっていくんだと思っています。

名指されること 名乗ること 

松岡:たいそうな言い方になりますが、生きる中での漠然としたしんどさについて、「がんばって悩んできた」と思います。悩むことは考え方の基礎をつくる大事な営みですが、現代社会は「悩ませないように仕向けている」のではないでしょうか。あらゆる生活空間は常に効率性を要求され、余裕がなく、悩む空間や時間がないというか。
 自分の苦みや、人を苦しめてしまったかもしれないことにじっくり向き合うことであったり、交差するもの、自分自身が依って立つものを見つめる時間を与えてくれない社会だと思います。

 最後に、「境界線」についてですが、どういった場であっても、そこに参加すると何かしらの差異や壁を感じる時があります。私自身の中にも複数の属性が境界線を作っているように、一人ひとりの中にはきっと複数の引き出しがあり、それをどう捉えていくかは難しい課題だと思います。たとえば女性差別の場面では、その抑圧への抵抗軸として性といったアイデンティティを出さざるを得ない場面もあります。
 ただ、一方でそうした政治性によって私という主体の中の女性というアイデンティティを固定化し、権威化させ、排他的にふるまうこともできないと考えます。それは恐らく、私自身の他者への想像力にも限界があり、そしてその限界は「他者」との出会いをもってまた克服されていくプロセスの渦中にあるからです。他者との出会いやその葛藤、自分で苦しみつつ思考するという「過程」自体を含んだ、主体としての「私」であると思うし、私自身がそうしたいわば「プロセスとしての主体」なのだという認識をもって、現在という通過点を生きています。
 政治的に「名指される」ことへの抵抗として「名乗る」ことを引き受けつつも、「名乗る」場面や、「何を名乗るのか」自体を、私は自分の「自由」として持っているはずだと考えています。その意味で「境界線」は、私の「自由」の前に立ちはだかりながらも、他者と自己理解のための「自由」の糧になる、漠然としていますが、そうした理解を持っています。(終)

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