【時評短評 私の直言】「怒りをこめてふり返れ」―フクシマ2011・3・11~ シネマブロス 宗形修一

隠蔽・欺瞞・ねつ造がまかり通る現実

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 表題は、イギリスの劇作家ジョン・オズボーンの戯曲「怒りをこめてふり返れ」(1956年)から借りた。劇は既成秩序に不満をもち旧来の価値観を受け入れようとしない、反体制的な青春〈怒れる若者たち〉を描いた。1958年には映画化「Look Back in Anger」(監督トニー・リチャードソン)もされた。

 フクシマは事故から8年目を迎えようとしているが、2012年に避難した避難地域の住民16・5万人のうち帰還者は平均15%に留まっている。原発立地の双葉・大熊はもちろん、その周辺町村も帰還はままならないまま、時は経過してゆく。国も東電も当初「カネ」ですべて解決しようとしたが、帰還住民の補償は「カネ」だけではできなかった。被害住民の国・東電への訴訟は、次々起こされている(全国で31件・原告1万2539人・2016年時点)。この21世紀最大の事故の全貌は、誰にも掴めていない。政治・経済・産業・医療・環境・農業等々の社会を構成する基盤を、この事故はすべて奪ってしまったからだ。

 3・11以降のこの国の流れは「隠ぺい」「欺瞞」「ねつ造」が平然とまかり通っているが、県民は「中間貯蔵施設」(約1兆6千億円・現在造成中)の30年後の汚染物撤去の不可能性も、東電敷地内にたまり続けているトリチウム汚染水放出が無謀であることも、また現在7千人近くの作業員が従事している第一原発敷地の労災事故続出の状況も、みな知っているし、東電の事故隠蔽体質も充分に見通している。そして、東電・国は福島県民を真に救うことはなく、「棄民」政策にカジを切っていることを、うすうす感じてもいる。

 避難した私の知人は、避難後の実家が「空き巣」に再三入られ、「草が背丈より高く覆った実家は見たくないし、考えたくない」、と語った。考えるだけで「苦しくなる」と語った。宅地の除染は済んでも、山林や草地はビックリするほどの高濃度放射能汚染地区が残されている。帰還は無謀だ。

 この現状を、毎日新聞の日野行介氏は以下のように描く(著書『除染と国家』集英社新書より)―「除染作業は巨額の費用と膨大な人手をかけた壮大な国家プロジェェクトだ。2016年度末までに延べ3000万人の作業員が従事し、2兆6250億円もの国費が投じられ、おおむね作業が完了した」「除染とはいったいなんだったのか? そもそも効果があったのか?この国家プロジェクトが始動する前からチェルノブイリなどの海外の原発事故の事例を知る人の間では、疑う声は少なくなかったが、はっきりと指摘した人は残念ながらほとんどいなかった」「除染作業だけで2兆6250億円を費やしたにもかかわらず、被災者の満足や安心すら得られなかったことから、『今世紀最悪の公共事業』と批判する声もある。筆者も『最悪』との評価には同意する。だが、その理由は費用対効果ではない。為政者からすれば、この原発事故と放射能汚染を『終わったこと』『なかったこと』にする所期の目的は達成したと思うからだ」

 福島県民は、日常をとり戻しつつある、とマスコミは報道しているが、内面の葛藤には触れない。

 「怒りをこめてふり返る」、しかし、そこにとどまっているわけにもいかない。歩き出さねばならないと、心の確執をかかえて住民は語る。

 3・11の全貌は、問題別にひとつずつ明らかにしてゆくしかないが、今回は県民の視点でその気持ちを知ってもらいたいと記した。県民200万の気持ちはさまざまであるが、今回の事故と福島県を考える一助にしていただきたい。

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