【スポーツ界相次ぐ告発】指導者から選手への暴力・セクハラ・パワハラをどう読みとくか 大阪府立大学 熊安貴美江准教授に聞く 

聞き手 :ライター 谷町邦子

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 近年、告発が相次ぐスポーツ界でのパワハラ・セクハラ・暴力。しかし、いまだに「暴力を伴う指導は昔からあった」「信頼関係があるので問題ない」という声もある。スポーツ指導におけるハラスメントについて研究する大阪府立大学の熊安貴美江准教授に、ハラスメントの背景や、人権侵害のないスポーツ指導を実現するために必要なことを聞いた

暴力の被害者・加害者になりやすい男子選手

2013年、スポーツシンクタンクの(公財)笹川スポーツ財団(以下、SSF)によるアンケートを基に、「日本スポーツとジェンダー学会」が2016年に編集したデータによると、高校時代の運動部では男女ともに指導者や上級生から暴力・暴言を受けるリスクがあるが、概ね女子よりも男子の方が高く、特に「蹴られる」「暴言を言われる」という項目で顕著です。

 また、上級生から被害を受けたという割合も性別で大きな差があり、男子の方が高いです。その結果から、指導者から暴力的な言動を受けた生徒が、上級生からもそのような言動を受ける傾向が、男子の場合、より強いと言えます。

 さらに、SSFが行った、成人がスポーツ経験を振り返り回答する2014年の調査では、男性の方が暴力的行為について容認する率が高い傾向にあります。このことから、男性がより暴力に親和性があり、肯定的だと言えるのではないでしょうか。

男子であるゆえに被害を訴えない・訴えられない

 2013年、柔道女子日本代表候補選手が指導者による暴力指導を告発し、大きな問題になりました。女子選手の代理人弁護士の辻口信良氏が「日本のスポーツ界は暴力を克服できるか」(かもがわ出版、2013)の中で、「男子選手についても同様あるいはより以上の問題があったと聞きましたが、不思議なことに明らかになりませんでした」と述べています。

 スポーツの多くは「(その社会で最も称賛される、ある特定の)男性らしさ」と結びついているので、「弱音を吐くな」「泣きごとを言うな」という価値観に支配されています。被害を受けていても認めにくい、黙らざるを得ないという傾向があります。そんな中で、スポーツそのものから離脱するケースや、2013年に起こった男子バスケットボール部員の自死のように、暴力に耐えきれず死を選ぶケースもあります。

 一方で男性は、黙って耐えていたら組織の中でステップアップできる可能性が女性よりも大きいのです。我慢したらいずれ組織の幹部や指導者になれるというルートがあるというのも、沈黙の背景のひとつと言えるのではないでしょうか。

「グルーミング」でずれる感覚

 また、選手が指導者からセクハラなどの人権侵害的な行為を受け入れてしまう原因の一つに、グルーミングがあります。セクハラ研究の中で使われる理論で、「てなずけ」とも言われます。

 指導者がある選手をターゲットにして、長い時間をかけて、ある時はご褒美を与え、ある時は罰を与えながら、2人の境界線を縮めていきます。そうすることで選手の指導者に対する依存度が高まり、暴力やセクハラが社会の規範から見て問題のある行為かどうか気付きづらくなるのです。

 選手が被害を受けても声をあげにくい背後には、グルーミングの可能性があると理解すると、いろんな問題を理解する手掛かりになるでしょう。

 若い頃、コーチから性的な関係を強いられていたことは妥当な行為に思っていたが、何年か後にインタビューした時に「あれはセクハラだった」と気付く事例もあります。 当時は虐待だと気付かず拒否できなかったのかもしれないので、選手を含む周囲の人々、社会の人たちは「本人が合意したから問題がないとは必ずしも言えない」と知っておくことが大切です。 

人権侵害を防ぐ「境界線」という考え方

スポーツをする上で、遠征や合宿などで共有する時間や空間は多くなります。また、指導者としては、自分を信頼してもらわないと厳しい練習を続けていけないので、どのように選手と接するか悩むこともあるでしょう。 しかし、これまでの国際的な研究では、指導者としてのプロフェッショナルな面と、個人的な関係との境界線を常に残していくことは、指導を阻害するものではなく、よりよい指導の基本だとされています。2人きりで食事をするなど、個人的なスペースの中に入っていくことでしか信頼を得られないのでは、だめなのです。

 例えば、オーストラリアのスポーツコミッションという政府のスポーツ統括組織では、政府から助成金を受けて活動しているスポーツ団体に向けて、選手やメンバー保護のためのガイドラインを作り、ひな型を示しています。指導者側に権力があることや、指導者が選手に対して非常に搾取的になりえることを踏まえ、指導者と選手との間に適切な境界線を保つのは指導者側の役割であると明記され、推奨しています。 仮に女子選手が、自分をよく見てもらいたいからと、コーチに言い寄ってきたとしても、個人的に親密な関係にならないようにするのが指導者の役割だ、としています。

指導者と選手の権力差を理解

 日本の場合は、スポーツ指導者の多くが男性で占められています。選手は男女いますが、若い選手の場合はさらに、両者の権力の差が大きくなりますから、2人の間に同意があったか、なかったかを問うことに、あまり意味はありません。責任は指導者の側にあるということを、指導者が自覚しておくのが当たり前だと思います。

 特に選手が年齢的・性的・経済的・社会的に未成熟な場合、指導者との間では、フラットな同意は成立しがたいということを、指導者も、スポーツ団体も、社会も理解するべきではないでしょうか。

「勝てばOK」じゃない人権を守りながらの指導

 トップレベルの選手たちは、「レベルの高い競技会でメダルを取りたい」という思いで毎日激しいトレーニングに耐えています。ですから、レギュラーとして出場のためにと、人権侵害を受け入れることも起こりえます。

 競技成績が上がればハラスメントにも目をつぶるというありかたも問題です。選手の人権を守りながら競技レベルを高めることは、両立できるはずです。

 指導の中でスポーツ選手の人権意識を高めていかなければならないし、周りも「メダルを取れば何でもOK」ではなくて、指導の過程で選手の人権が守られているのか、安全な環境なのかを評価するような目線がないと、被害・加害の連鎖は止まりません。

 「暴力的な指導でも強くなれる」という考えが広く共有されていると感じるので、社会全体が認識を変えていかないといけないと思っています。

 

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