現地レポート インティファーダ勃発か?!

礼拝禁止の暴挙 パ民衆への武装攻撃アクサ寺院は政治的闘いの舞台へ

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イスラエル在住 ガリコ恵美子
中東のイスラエルは、長年パレスチナ・ガザ地区の不当な占領・虐殺・暴力支配を続けてきた。米英仏などの大国も占領を支持し、世界の不平等と戦争が生まれる根本問題であった。パレスチナの人々は果敢な抵抗を続けている。そして今、イスラエル軍がイスラム教徒の礼拝の聖地・神殿の丘を、占領後初めて礼拝日の金曜日に封鎖し、軍は参拝者に大規模攻撃を仕掛けている。この許されざる暴挙に対し、現地住民が大規模な抗議行動を展開している。世界が注視・抗議すべき、歴史的な状況だ。本紙で報告を続けてきたイスラエル在住のガリコ恵美子さんは、今、攻撃現場の最前線で写真や映像を撮り続けている。彼女から緊迫した詳細なレポートが届いたので、掲載する。ぜひ読んでいただきたい。
(編集部)

占領後初めてイ軍が礼拝日に神殿の丘を封鎖

 7月14日金曜午前7時、エルサレム旧市街神殿の丘で、アラブ人がアラブ人を撃った。撃ったのは、イスラエル北部のアラブ人町ウム・エル・ファヘム出身のイスラム教徒の男性3人、撃たれたのは、ゴラン高原の町マジダル・シャムス出身のドゥルーズ教徒の国境警察官3人だった。両者ともイスラエル国籍である。銃は手作りだった。撃たれた警官のうち2名が亡くなったが、1名は命を食い止めた。犯人は3名ともその場でイスラエル軍に射殺され、遺体は1週間後に返還された。
 警察は2日間にわたり神殿の丘を封鎖。と同時に、各地に緊急チェックポイントを設置し、旧市街の住人が旧市街外へ出ることも、外から旧市街に入ることも禁止した。「祈りの日」である金曜日に神殿の丘が閉じられたのは、占領後、初のことだ。それでも観光客は旧市街に自由に出入りできるので開けた店もあったが、店を開けた店主は警察に殴打され、約17万円の罰金を受けた。
 警察は「犯人らが神殿の丘に銃を持ちこめたのは、アクサ寺院の宗教指導者の協力を得てではないか」と、イスラム教指導者の身柄を一時拘束し、軍はウム・エル・ファヘムを連日連夜攻撃し、公安相は、犯人の遺族の家を破壊すると発表した。
 イ当局は、神殿の丘入口9カ所のうちの2カ所に金属探知機を設置し、他の門をすべて閉鎖した。金属探知機による検問がどんなに嫌なものであるか、カランディア検問所に行ったことがあれば、わかるだろう。若い兵士が横柄な態度で「ベルトをはずせ」「腕時計を取れ」「靴を脱げ」「服を脱げ」と命令する。これが完全配置されると、礼拝の度に長蛇の列に並ばなければならなくなる。
 イスラムの民衆は、「金属探知機はくぐらない」「どんなに血が流されても、アクサ寺院を守る」とシュプレヒコールを掲げ、神殿の丘の門外で礼拝を行うようになった。軍は、礼拝のたびに押し寄せ、抗議の声を挙げる者を棍棒で殴り、催涙弾やスポンジ弾や棒状催涙弾で攻撃した。
 18日夜の礼拝では、100名以上のけが人がでた。翌日19日付ハ・アーレツ新聞は、「ライオン門で民衆が投石し、軍が発砲した」と報道したが、嘘だ。私はそこにいた。投石はなかった。けが人は、オリーブ山のアル・マカーセド病院に運ばれたが、軍はオリーブ山を包囲し、病院内にも催涙弾を撃ち、けが人を逮捕した。
 ライオン門で軍が発砲し、けが人が運ばれた後、銃をかまえた兵士らが路地を上がって私の前を通過し、しばらくするとまた路地を下がってきた。そして民家のドアを激しく叩きだした。「なぜ軍はあの家に入りたいのか」と、隣人に聞いた。「あの屋上は見晴らしが良い。軍はよくあの家のベランダを展望台に使って、人を撃つんだ」。

無差別発砲は「国家のエゴ」

 私が暗闇でフラッシュをたいて、ドアを破壊しようとする兵士を撮っていると、「撮るな。撃つぞ」と脅された。金属のドアは開かなかった。30分ほど彼らはドアを蹴ったり叩いたりしていたが、諦めて退散した。
 帰宅時ダマスカス門を通ると、4人の国境警察官が「ニーハオ」と私に声をかけた。軍の攻撃があったため人通りの少ないダマスカス門。夜11時に1人で歩いてるアジア人のおばさん=私に話しかけるのを息抜きにしてるようだった。そこにいた4人のうち1人がユダヤ人で、3人はドゥルーズ派(イスラム系の宗教共同体)だった。指揮官も45歳くらいのドゥルーズ族だった。
「今、ライオン門で100人以上けがしたよ。投石する人はいなかったのに、なぜ礼拝者を軍は撃つの? ひどいじゃない」
指揮官「プライドだよ」
部下「ああ、エゴだ」
「エゴ? どんなプライド? 相手は武器もってない民衆よ」。
部下「国家権力の威力を見せたいんだ」
「やり合えば、武器をもってない人が死傷して、武器を持ってる人が勝つのが当たり前じゃない。おかしいよ」
指揮官「そうだね」
 指揮官は悲しそうな緑色の目で、私の眼をまっすぐ見てから、視線を落とした。私は、兵士らが屋上を使いたいがために民家のドアを壊そうとした現場を見た、と言ってやった。
「ずうずうしいにもほどがある。狂ってる」。
 指揮官の目は、「好きでこの仕事をやってるんじゃない」と語っているようだった。

民衆は投石と花火で抵抗し入植者は少年を銃撃

 

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翌20日には、カランディアチェックポイント、ショーファット難民キャンプ、ベツレヘムのラヘルの墓付近でも、軍侵攻に怒る民衆が投石と花火で立ち向かい、多数のけが人がでた。
 アクサ寺院の外で礼拝する民衆の数は、日に日に増えた。遠方から来る民衆は、路上で礼拝し、次の礼拝まで休憩する。その民衆に旧市街在住の人々が、手作り料理やコーヒー、チョコの差し入れを大量に配る。パン屋は休まず何万枚とパンを焼き、飲み物屋は売物の水やジュースを無料で配り、急救隊員たちはゴミ回収に当たる。彼らは、礼拝者でない私にも「いかがですか」と声をかけてくれる。そこにあるのは連帯と愛だ。
 この日の夜、礼拝の後の指導者による説教の最中に、軍の発砲があった。聴衆は全力で走って逃げようとしたが、逃げ切れなかった者を軍が囲み、人々は分断された。民衆は道を塞ぐ兵士たちに、抗議の声をあげた。腹が立った私は、兵士に向かって抗議の声をヘブライ語に訳した。「なんで撃つのよ、とこの女性は聞いてるのよ。礼拝してるだけなのに、演説を聞いてるだけなのに、なんで撃つの。恥知らず。自分たちが何してるか考えてよ」。─兵士たちは黙っていたが、軍の方針が変わるわけがなかった。
 帰宅しようとヘロデ門にきた時、軍が民衆に向かって棒状武器を連続で投げてきた。その一つが足元の地面で跳ねて、頭に180度の角度で当たり、地面に落ちた。90度の角度で頭に当たったら、中から鋭角の棒が飛び出して突き刺さる仕掛けになっている。
 21日金曜日は、地獄の日となった。軍はパレスチナ全土を攻撃し、エルサレムで3名、西岸地区で1名の死者、400名のけが人がでた。そのうちの1人は8歳の少年で、催涙弾のガス中毒によるものだった。
 シルワンのラス・アル・アムードでも銃撃事件が起きた。礼拝中の少年を撃ったのは、モスクから100m弱離れた入植地の住民だった。その入植者がベランダからマシンガンで銃撃している姿は、付近のパレスチナ住民によって撮影され、フェイスブックで拡散された。
 当局は、撃ったのは警察だと発表した。2時間後にラス・アル・アムードに行くと、使用済みの催涙弾が地面一帯を覆い、道端に靴が山盛りになっていた。これは、民衆が礼拝をしていた時に、警察の攻撃が始まったことを証拠つけている。

続く攻撃と抵抗世界から注視を

 

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その夜、ラマーラ北部の村からオマール・アル・アベッド(19)が近くの入植地に入り、食事中のユダヤ人4名をナイフで刺し、3名が亡くなった。オマールは犯行前に、フェイスブックに書置きをした。
 「僕には夢がありました。生きることが好きだし、家族や友人が好きです。しかし、イスラエルがイスラム教徒の女・子どもを殺し、アクサ寺院とエルサレムの人々に行う暴力に、僕は応えます」。
 彼は駆けつけた隣人兵士に撃たれ、逮捕された。犯人は死刑にすべきだとナタニヤフ首相が言及、家族の家は撤去されることになった。
 金属探知機は1週間後に除去されたが、替わりに透視カメラが設置された。これは女性の身体の線が見える、もっと悪いということで、民衆は神殿の丘に入るのを拒み続け、路上礼拝し続けた。軍は攻撃し続けた。
 私は、毎日そこにいた。軍の攻撃が始まると私は走って逃げたが、仲間のカメラマンは撮影し続けた。「+972」(イスラエルのネット新聞)のカメラマン、ファイズ・アブ・ルメイレ(25)は、警察に殴られ、他の4名とともに逮捕された。ファイズは無罪で解放されたが、謹慎処分を受けた。
 そんな時、ヨルダンでイスラエル領事館のガードマンが、隣家で修理工事をしていたヨルダン民間人を2人殺害した。ヨルダンは犯人の身柄を引き渡すようイスラエル政府に要求したが、領事とそのガードマンは即座にイスラエルへ帰国し、英雄として迎えられた。
 事件から2週間後の木曜日、透視カメラが除去され、ようやくアクサ寺院に民衆が戻ってきた。民衆は甘いものを配り、花火を挙げて祝った。しかし、神殿の丘へ礼拝に行った者たちは、再び軍による攻撃を受け、約140名のけが人がでた。軍や警察による横暴は続いており、いつ火がつくかわからない。

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