「迷惑をかけないこと」と「生きる」ことの間で

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私にとっての相模原事件

 

大阪大学学生 中西祥平

 神奈川県の障がい者施設で7月26日、知的障がい者などが殺されたあの事件について、私は初め沈黙していた。身体障がい者の私は犠牲者の方々とは関係ない、と思っていたから。でも、東大の福島智先生のインタビューを読んで、考えが変わった。視覚障がいの方が事件をわがごととして発信している!
 事件で殺されたのは、施設の人や知的障がい者だけではない。身体障がいのひとつである聴覚障がいを持つ私も、殺された。人間としての存在を否定された。容疑者自ら「社会的に生存価値がない」と恣意的に判断した人々を殺害したこの事件を、許してはならない。
 さもないと「生きるに値しない」人間が生み出されてしまう。福島先生は「実存的殺人」ということを言っている。まさにそのとおり、人間の尊厳への冒涜だ。

理念からの置き去りにされた障がい者

 あの事件をめぐって飛び交った言葉の数々。私はそれらをうまく飲み込めない。あの事件は容疑者の個人的な問題なの? 容疑者の思想を「優生思想」の一語で切り捨てていいの? なぜ社会的な背景を置き去りにするの?―何かが違う!
 何が違うのか、私は本気で考えたかった。8月末、大阪から津久井やまゆり園に行った。新宿から京王線とバス2本を乗り継いで1時間半もかかる場所に、大きな障がい者施設がある。周囲に人家がないわけではないが、どう見てもこの地域にそれほど障がい者が住んでいるとは思えない。入居者はもともと住んでいた地域で生活できずここに来たのかな。ふとそんな想像をして虚しくなる。
 障害者自立支援法の施行から10年が経つ。しかし、いまだに「施設から地域へ」という理念と現実には大きな落差がある。幼稚園から高校まで、ろう学校ではなく普通の学校を卒業した私にはわかる。地域での障がい者の日常生活は、まだしんどい。
 例えば、ひとつ聞いてみよう。あなたは学校や会社の帰り道で、何人の障がいのある方を手助けしたことがありますか?
 私は電車のアナウンスがわからない。降りる駅は数えていればわかるものの、例えば電車が線路上で止まったとき、情報がないから不安になる。だが、助けを求めるには、残念ながら勇気が要る。みなが平然とスマホをいじっているので、多分大丈夫だろう―そう思うしかない。
 障がい者に声をかけて下さる人もいる。だが、多くの場合、困っている私に気づいても、声をかけることができない。気まずそうに無視されることも多い。

悪魔のすり替え

 軽度なトラブルならまだいい。だが、トラブルがより深刻になると、常に身内に頼らざるを得ない。日本の社会は身内には親切だが、他人には冷たい。というより、他人と接しようがない。こうして家族などから自立することができない障がい者が出る。そして施設ができる。
 でも、もう施設まかせはやめよう。第二の相模原事件はごめんだ!
 障がい者と地域で共生するには、どうしたらいいのか。他人と接するのが難しい。それはある程度は仕方がない。障がい者に限らず健常者どうしでもそうなのだから。しかし、他人のなかでも障がい者の場合、壁はより高い。障がい者との接し方がわからないこともあるだろう。
 でも、それだけか? 容疑者とあなたを一緒くたにするつもりはない。しかし、あなたも少なからず障がい者に対する偏見を抱いていないだろうか?
 『現代思想』(青土社)10月号で、上野千鶴子さんが、高齢者社会を誰もが「中途障害者になる社会」だ、と書いている。しかし高齢者自身、密かに障がい者に偏見をいだいていなかったか。「自分自身が差別してきた当の存在に、自分自身がなることを認められない」。この節に思い当たるところがあなたにもあるのではないか。
 自分は弱者にはなりたくない。こうした気持ちはわからなくもない。ただ、こうした気持ちから障がい者を差別する人がいる。嫌悪の対象は本来、弱者の置かれた社会的状況であるはずなのに。
 では、なぜ弱者本人にすり替えられてしまうのだろう?それはね、悪魔が福祉という希望を奪っていったからだよ。「人に迷惑をかけないようにしましょう」って、先生やお父さんお母さんに言われたことがあるだろう? それはそのとおりさ。でもね、坊や、いいかい。
 「人に迷惑をかける人は生きる意味がないんだよ」って言われても、信じちゃだめ。そう囁くのは悪魔なんだから。いいね?悪魔にはついていかないこと。さもないと…。
 もちろん「人に迷惑をかけるな」というのは、当然のことだろう。しかし、「生存権」も当然認められてしかるものである。多くの人にとって、生存権は他の何かと矛盾するものではない。
 しかし、その矛盾の中に、数多くの弱者が、障がい者が生きている。では、あなたが障がい者だとしたら、あるいは将来中途障がい者になったら、どちらを優先するだろうか。
 私はあなたといっしょに考えたい。「優生思想」のような言葉ではなく、わたしたちの言葉で。わたしたちが無意識的に加担してしまっている弱者差別の構造の中で、わたしたちが殺されるかもしれない、ということを。

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