時評・短評 「無理なく生きる」ために

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自傷・他傷を生み出すストレス社会

 

大学院生・シングルマザー 松岡千紘

 相も変わらず私事ではあるが、ここ数週間、主に学業に関連するストレスから不眠の症状が続いていた。物心ついた時から、忘れ物やケアレスミスに悩まされていた(正確には周囲からこっぴどく注意され続けてきた)が、私の場合、ストレスや気疲れがたまると特にちょっとした忘れ物がひどくなる。そして、そうしたミスや忘れ物をさらに注意されることでストレスが大きくなり、また忘れ物やミスをするという悪循環に陥る。
 今回、不眠が続いた段階で心療内科へ行き、漢方薬の半夏厚朴湯を処方してもらった。処方された薬を服薬して以降、不眠は収まったのだが、何よりも今回、変化に驚いたことがある。服薬前は、常にのどに引っかかるものがある感覚がまとわりついていたし、あらゆる周囲からの情報が刺激として脳にダイレクトに響く感覚があり、私は常にこっぴどく疲れていた。誰かの何気ない言葉―それが例え自分に直接向けられた言葉ではなくとも―が、時間が経っても抜けない棘になって刺さるかのようであり、これ以上削れない自己肯定の核をすり減らすような感覚を生じさせていたのだと思う。
 ところが服薬後、そうした周囲の言葉も含む「環境」によって常に左右されていた自分の精神が、それほど直接的にダメージを受けなくなった気がした。それまで周囲からの刺激に過敏すぎる精神状態となっていたところから、刺激に対する目に見えないクッションが形成されてきた感覚である(こう書いていると何だかトランス状態かシャーマンになれる秘薬の宣伝広告をしているような気がするが、半夏厚朴湯は決してヤバい薬ではない…。また、過敏すぎることは悪いことばかりでもないことは、付け加えておきたい)。
 ストレスによって人間関係も含む様々な社会生活に支障をきたすことは、ありふれたことなのかもしれない。ストレス社会といわれる現代、低賃金労働に長時間労働、パワハラ・セクハラの蔓延は言わずもがな、日本社会そのものがストレス製造機である。適度なストレスであれば生活する上での潤滑油となるが、限界点を優に超えたストレス社会だと自傷か他傷を生み出してしまうこと必須だ。
 今回私は、運よく漢方で状態が少し改善したが、薬に頼る以外にも、もしくはそれと併用するような方法はある。例えば、人に話を聞いてもらうこと、そしてゆっくりと外部からの刺激を離れて心を休ませられる空間に逃げること等だ。
 人に話をきいてもらうことは、それが「愚痴っぽい」といわれるような内容であればあるほど、難しいことではある。社会問題として顕在化しているような大きなイシューに関わることが明白な場合であれば、まだこれを言葉にして訴えていきやすい傾向があるように思う。しかし、まだそうした大きなイシューに結びついていないか、その関連性の回路が複雑で、心の中のもやもやとして堆積している場合、なかなか人に打ち明ける段階まで進めないことも多い。もしくは人に打ち明けたとしても、問題を取り巻く「客観的」な状況や事実にスポットを当てるばかりの対応で返されてしまえば、なんとも言えない割り切れなさが残ってまた疲れてしまう、ということがある。
 私は、社会問題という構造的な問題に手をつけないばかりか、そこに至らせないがためのスケープゴート化ではないかと思われる昨今の自己啓発「ブーム」に否定的な考えを持っているが、それでも、やはり心に着目することの必要性を痛感してもいる。むしろ、「客観的」な問題に対し「主観的」とされるしんどさや鬱屈がおざなりにされることには、危機感さえ覚えている。人は「心に着目されることで癒される」と言った漫画家・田房永子さんの言葉があるが、とても共感できるものだった。なかなか人には話せる状況にない場合、自分自身無視しがちな自分の感情に目を向けてもいい。
 とにかく、ここでは、ストレスをため込み続けるとろくなことがないので解消しましょう、というごくありきたりな主張をしているだけなのかもしれないが、言葉にしただけでわかった気になりがちなことを丁寧に考えてみることで、何か見落としていたものや新たな発見があるのではないかと思う。言うは易しな「無理なく生きる」を、自分なりにどう実践するのか日々模索中である。

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