時評・短評 刑事訴訟法・盗聴法大改悪

悪の本体はあまりにも矮小だ 誰でもいつでもできる盗聴

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阪南大学准教授 下地真樹

冤罪事件の闇の深さ

 冤罪。「罪がないのに罰せられること」(大辞泉)。意味だけ書けばそれだけのことだが、一つひとつの事件を辿っていると、その残酷さと闇の深さに眩暈がする。ある日突然身柄を拘束され、裁判にかけられ、有罪、死刑判決。無実を訴えつつも、死刑執行におびえながら過ごす日々。そんな日々が、時に三十余年も続くのだ。想像を絶して余りある。
 人が人を裁く仕組みである以上、まちがうこともあるだろう。冤罪は防ぎえないのではないか。そんなふうに感じている人は多いかもしれない。以前の自分も、今から振り返ってみれば、こういう考えがなかったとは言えない。しかし、現実の冤罪についてほんの少しでも知ってみれば、冤罪とはそんなものではないことに、嫌でも気づいてしまう。
 いま、里見繁著『死刑冤罪 戦後6事件をたどる』という本を読んでいるのだが、その中の、たとえば財田川事件について。中村正成検事が被疑者とされた谷口さんに対して、証拠を一点ずつ示してそれが何かを説明させた旨を記録した調書がある。実は、この調書が作成された日付には、示されたはずの証拠類は鑑定などのために別の場所に引き渡されていたので、中村検事の手元になかったのである。明らかな調書の捏造である。それだけではない。これほど明白な調書の偽造が明らかになれば、当然に裁判をやり直すべきだが、それでもなお再審請求は却下されるのである。その後改めて再審、無罪を獲得したものの、人間はここまで邪悪になれるものかと、暗澹たる気持ちになる。
 要するに「過ちを犯さぬように注意していても、時に人はまちがう」というような話ではない。関係者には、罪なき人を罪に陥れている自覚がある。そのようにしか思えない。むしろ、過ちを認めることができないが故に、過ちの隠蔽に走るのである。他人の人生と秤にかけるには、あまりにもつまらないとしか言いようのない保身。悪の本体は、あまりにも矮小である。

冤罪を利用する政治権力

 とはいえ、冤罪がなくならない、より正確に言えば、冤罪を見逃してしまう制度が改善されない理由には、単なる保身以上のものがある。過ちが過ちとして正されないシステムとは、その過ちを積極的に利用することのできるシステムでもある。つまり、冤罪を野放しにする欠陥に満ちた刑事制度は、「罪なき人を罪に陥れたい」と権力者が欲するとき、その欲望に奉仕する素晴らしい刑事制度ということになる。権力の腐敗に対する抵抗者を、自由に、速やかに、排除したい。そのためには、少々の冤罪被害者など取るに足らない。そのように考えているとしか思えない状況がある。
 去る5月末、改正刑事訴訟法・改正盗聴法等が可決、成立した。取調べの一部可視化、司法取引、盗聴範囲の拡大などの多岐にわたる内容を含むが、一言で評するならば、これほど酷い大改悪は他に想像できない。もはや日本の状況は手遅れではないか、とすら感じる。
 盗聴法を考えてみよう。現行法(も問題だが)では、盗聴の対象犯罪は組織的殺人、薬物、銃器、集団密航だけである。今回の改正で、詐欺、窃盗、強盗、傷害、児童ポルノを含み、大幅に拡大された。窃盗には万引きも含まれるし、傷害には「ちょっとした喧嘩」の結果の怪我も含まれる。
 たとえば、あなたが路上でビラまきをしていたら、誰かに妨害させ、もみあいにする。その後「あの人ともみ合いになって怪我をしました」という被害届を出させれば、それで盗聴を含む捜査の対象とすることができる。さらに言えば、そのビラまきをした人(Aとする)は、別の人Bの指示によってビラまきをしていたことにすれば、Bを対象として盗聴することもできる。要するに、盗聴したければ、誰でもいつでもできる(今でもしているだろうが、やれば違法行為ではある)。
 そんなバカなと思うだろうか。裁判で証拠として使うだけが目的なら、あまり意味はないだろう。しかし、盗聴の目的はそれだけではない。「どのようなストーリーにはめ込めば、その人物を罪に陥れられるか」を考える上で、盗聴によって得られるその人の行動パターンや交友関係に関する情報は極めて有益だ。盗聴権限を悪用するときに、必ずしも盗聴した事実内容を前面に押し出す必要はない。または、個人的なスキャンダル情報でもつかめれば上等だ。キング牧師を抹殺するためにFBIがやったことを思い出してみればいい。

刑訴法改悪と反ヘイト法

 一方で、取調べの一部可視化が成果のように喧伝されているが、噴飯物である。なぜか。ほとんどの自白強要は別件逮捕の取調べで行われており、それらの別件取調べに録画義務はない。録画されるのは、自白強要の済んだ後だ。なんの役にも立たないどころか、むしろ、冤罪被害を増やすだろう。
 こういうことがわからないのではないと思う。権力者にとって大事なことは、刑事法という暴力機構を、自在に恣意的に操作できることで、冤罪被害などどうでも良いのである。だからこそ、名張事件の奥西さんは、半世紀を超える獄中生活の末に「獄中で」亡くなった。まさに死人に口無し、そこになんらの反省もないのである。
 ところで、この間、あちこちから指摘されている重大な疑惑がある。今国会では、ヘイトスピーチに対抗する市民運動の後押しによって反ヘイト法が成立しているが、その最終局面において「反ヘイト法を成立させる代わりに改正刑訴法も成立させる」との取引が行われたというのだ。実際、民進党などが改正刑訴法案に賛成しているのだが、この指摘が本当だとすれば(そう疑う理由は十分にあると私も思う)、本末転倒の暴挙である。
 両法案の審議に関わった法務委員会の野党側唯一の理事は、反ヘイト運動にも深く関わった民進党の有田芳生である。有田氏は、この件について納得できる説明を行う責任がある。既に取材を進めているジャーナリストもいるやに聞く。今後の真相究明に期待したい。

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