事故6年目の福島から問いかける

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福島原発告訴団団長 武藤類子

 震災・原発事故から5年の3・11を、日本はどう迎えたのか? 福島からは、「原発いらない福島の女たち」の集いと、「福島で生きることの意味」を問う時評・短評が送られてきた。東京では、東電の責任を問う抗議活動。伊方(愛媛)では、ゲート前抗議(午前)と、松山集会(午後)が開催され、「ふるさとは原発を許さない」とアピールした。関西アクションで福島の実情を報告した武藤さんのアピールを中心に、各地の様子を報告する。(文責・編集部)

%e6%ad%a6%e8%97%a4%e9%a1%9e%e5%ad%90-s 3月9日、大津地裁による高浜原発3・4号機の差し止め判決は、安全性が確保されていない原発の再稼働は認めないことを明言した、素晴らしい判決でした。さて、原発事故から5年経った福島では、今どんなことが起きているのでしょうか。
 原発サイト内では、1日7000人の作業員の方々が過酷な被曝労働に就いています。彼らは、多重下請け構造の中で、賃金搾取や劣悪な環境の中での労働を強いられています。120mある1・2号機の排気塔は、鉄骨にヒビが入り、大きな地震で倒れる危険性があります。そして、汚染水の問題は、泥沼化しています。汚染水を汲み上げて処理して海に流す計画は、トリチウム濃度が高く、汚染水タンクをかえって増やしています。凍土壁は、凍結管をさし込む作業は終わっていますが、地面が凍るかどうかわかりません。規制委員会は認可していませんし、国の研究会開発費が使われており、東電はお金を出していません。
 最近、メルトダウンの判断基準マニュアルの存在に東電が気づいた、というニュースが流れました。しかし、本当に誰も気づいていなかったのでしょうか。電源喪失についても、早い時点で認識していたと疑われています。東電と国の隠蔽と無責任体質は、事故の後も変わっていません。
 今、福島県内は除染で出たフレコンバッグと呼ばれる青や黒い袋がいたるところに山積みにされ、校庭や庭や公園にも埋められています。県内の仮置き場だけで1030万個以上あると言われています。その上に土をかぶせ、人々は暮らしています。昨年は、大雨で借置場からフレコンバッグが川に流れ出し中身が出てしまう事件がありました。本来黄色いドラム缶に入れてきちんと管理されるべきものが、あまりに大量であるために、ずさんな管理のもとにあります。

除染利権で暴利得るゼネコン

 除染労働は被曝労働です。東北や北海道、九州、沖縄などからの出稼ぎ労働の受け皿になっています。また、原発で儲けた大手ゼネコンは、莫大な公的資金が投入される「除染利権」によって再び暴利を手にします。
 さらに8000ベクレル(以下Bq)以上の放射性廃棄物の減容化施設としての焼却炉が、20ヵ所以上建設されています。もともと一般の焼却炉は、放射性物質が100Bq以下のものしか焼却できないのですが、原発事故後、8000Bqまでは普通の焼却場で燃やしていいという決まりに変わりました。
 8000Bq以上の廃棄物用に、特別の焼却炉が建設されています。1基500~600億円もする巨大なものです。しかし、燃やし終えたら解体してしまう仮設焼却炉です。解体後は、巨大な放射性のごみとなるでしょう。
 焼却炉の受注は、三菱・日立・石川島播磨など、原発で儲けた大企業です。原発の前も後も、利権構造は変わりません。避難区域が解除され、人々が帰る地域にも焼却炉がつくられ、地権者の承諾なしに建設される例もあります。
 福島県は今、帰還と復興の激しい流れに呑み込まれています。国と福島県は、放射線量が下がりきらない地域の避難指定を解除し、避難者の借り上げ住宅制度の廃止や賠償の打ち切りを決めました。
 国は、事故前までの年間被曝限度=1ミリシーベルト(以下Sv)を、いつの間にか「年間20ミリSvまでは安全だ」という基準にすり変えました。帰還政策とは、まだ放射能がある場所に帰って我慢して暮らせということです。「自立」という美名のもとに、被害者の切り捨てが始まっています。
 若い世代や子どもを巡る状況は、なお深刻です。事故当時18歳以下だった子どもたちの甲状腺検査では、166人がガンやガンの疑いと診断されていますが、原発事故との関連は否定され続け、原因調査や被曝の低減策は実施されていません。
 その代わりに、人々に対する「放射線教育」が行われています。大規模な放射線教育施設が建設され、テレビタレントを起用した放射線解説漫画を環境省が無料配布するなど、新たな放射線安全神話が作られ、被曝への警戒心や健康不安への言葉が封じ込められていきます。
 そして、こんなニュースが流れてきます。「一昨年、通行禁止が解除となった国道6号線の中学生・高校生による清掃作業」、「高専生による原発廃炉のためのロボットコンテスト」、「他県の高校生が原発から20キロの村に修学旅行に来る」など…。
 福島県の災害関連死は2007人となり、津波で亡くなった人をはるかに超えました。ふるさとへの郷愁と放射能への不安のはざまで、精神の疲れは限界です。これが福島の被害です。
 しかし今、被害者たちも必死の反撃に出ようとしています。去る2月29日、東京電力勝俣元会長、武藤・武黒元副社長が、検察による2度の不起訴、そして検察審査会による2度の起訴議決を経て、強制起訴となりました。ようやく原発事故の真実が明らかにされ、責任を問う裁判が開かれます。
 検察審査会の議決のポイントは、3つありました。(1)原発のような、ひとたび事故があれば人生を根こそぎひっくり返されるような被害を多くのひとに及ぼすものを扱う企業には高度な注意義務があり、「万が一」「極めてまれに」にも対応しなければならない。
 (2)東電はこの事故は想定外の津波が原因と主張しているが、東電自身が15・7メートルの津波が来る可能性があると試算していた。そして、海面から10mの原発敷地の上に10mの防潮堤を作る計画を立てていた。しかし、東電は何もしなかったのです。そして(3)漫然と事故を迎え、多くの人々に甚大な被害を与えたのです。これは犯罪です。
 私たちは、「福島原発刑事訴訟支援団」を結成しました。多くの市民が見つめ続けることで、公正で開かれた法廷が生まれると思います。私たちは諦めません。そして私たちは、立場や考えの違いをこえてつながります。
 この事故が人類に何を問いかけているのか、一人ひとりが考える時です。青く丸い地球は、人類だけのものではありません。原発事故から6年目となる今日の集会が、あらゆる命が大切にされる新しい時代の一歩となりますように。ありがとうございました。

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