原発賠償関西訴訟 打ち切られる「支援」、隠された被害実態

避難の権利求め活動

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原発賠償関西訴訟原告団代表 森松明希子さん

 3.11から5年が過ぎた。政府・各電力会社は、原発再稼働に邁進し、「復興」を強調し、避難者に対しては「帰還政策」の一点張りを強要している。原発事故の事実も被害者も「無かったこと」にされようとしている。 福島から関西へ避難し、避難の権利を求める森松明希子さんに、(1)原発賠償関西訴訟、(2)東日本大震災避難者の会の取り組みと経緯、(3)3.11から5年を経た日本の政治・社会の変化についてインタビューした。 

(編集部・ラボルテ)

事故で失った 生存の権利人間関係・思い出・家族

──まず、「原発賠償関西訴訟」の取り組みについて聞かせてください。
森松:第1次提訴は2013年、関西に避難した27世帯約80人が原告となって、政府および東京電力に対して提訴しました。私たちは政府から「逃げなくてもよい」とされ、現行制度から排除された、いわゆる「自主避難者」も加わっています。茨城県や千葉県などの放射線量が高い地域から避難してきた人たちです。
 私たちが求めているのは、政府・東電に対する損害賠償請求を通した「避難の権利保障」です。「権利を求めなくても、避難できている」と言われますが、(1)国策である原発事故によって避難を強いられ、(2)補償もされず、(3)政府・東京電力の責任も明らかにされていません。事故後、子ども被災者支援法(※1)が制定されましたが、空文化しており、「帰還政策」だけで、避難の権利は保障されていません。
 国賠訴訟と民事訴訟なので、損害額を出さなければならないのですが、お金のためだけではありません。私たちが失ったものは、経済面だけではなく、築き上げてきた人間関係や習慣、思い出など、お金に換算できないものを含んでいます。私は3・11後に子どもとともに関西に避難し、夫は福島に残って働いていますが、原発事故さえなければ、家族一緒に暮らすことができたのです。
 当初、弁護士から「あくまで民事で」と言われていました。裁判制度上の問題から、民事訴訟による損害賠償請求の体裁を取っていますが、私たちは憲法の幸福追求権(13条)や生存権(25条)、国際法規である子どもの権利条約や国内強制移動に関する指導原則などに依拠した人権侵害として、提訴しています。
──訴訟を通して、求めていること、経験したことは?
森松:訴訟団に加わる人が増えてくれたら、と考えています。例えば、訴訟の新聞報道を通して「自分は被害者なのだ」と気づいてくれること。被害者だと気づけていない人は多くいます。

ネットからの誹謗中傷―「守銭奴」

 訴訟直後、私はネットを中心に、多くの誹謗中傷を受けました。「お前には福島県民の血が流れていない」「他のシングルマザーはがんばっている」「守銭奴」などといったバッシングです。でも、私が訴えていることは、私個人の救済だけではなくて、誰もが当事者になりうる、普遍的な「避難の権利保障」です。また、人権は最初から与えられているものではなく、闘争しないと権利を獲得できないことに気づきました。
 同じ訴訟団に加わっている人に対して、一時は猜疑心に陥りました。誰が本当の味方で、私欲のために裁判を利用したい人は誰なのか、と。でも、水俣病やハンセン病、原爆被害、米軍基地、原発立地地域で抱え込まされた問題で明らかなことは、行政は恣意的に線引きして、当事者を分断して、争わせて、支配するということ。いま、それを実体験しています。分断させられないように、当事者間では、お互いの違いや背景を認め合って活動しています。
避難の事実を通し被害の実相を明らかに

──森松さんは、「東日本大震災避難者の会」の代表もされていますね。避難者の会と聞くと、ピア・サポート(※2)の印象を持ちますが、具体的な取り組みは?
森松:「東京から子どもと一緒に逃げてきた」など、避難を事実として伝えることを目的としています。避難者・被害者の認定をしているのは、原発事故を引き起こした加害者側の国家です。自主避難者にさせられている人たちにしてほしいことは、それぞれが避難の事実を伝えることです。みんなが事実を伝えることで、「個人の問題」ではなく、ひとつの「社会的事実」となります。
 いま、福島県内からの避難者は分かっているだけで15万人(13年)以上で、県外の自主避難者を含めるとより多くの人たちが避難生活を強いられています。政府は意図的に「避難者」の範囲を狭め、住宅支援もなくなり、避難が社会的事実であることを、否認されています。「移住」と言われることがありますが、私たちは命や権利を守るために、避難を強いられた国内避難民なのです。この社会的事実を伝えるため、生き証人として現在進行中の被害を証言しつづけるための「場」として「避難者の会」をつづけています。

当事者自身がアーカイブ

 私たちの合い言葉は、「当事者自身がアーカイブ」です。取り組んでいることは、集会などで実体験を伝えるお話隊や、出展活動を行うブース隊など、「避難」の実相を伝えることです。また、海外の人々に真実を伝えたい一心から、母親たちの避難手記を英訳化して、『レッド・キモノ』(本紙1573号掲載)として出版しました。
 当事者が実体験を多くの人に伝えることは敷居が高いので、展示会で一緒に取り組んだり、文章を書いたり、写真を出すだけでもいいのです。それでも敷居が高いので、基本的には「私は避難者」だというアーカイブを示すだけで、十分です。「○○県→○○県へ避難した」という社会的事実を示すことで、被害の実状が見えてきます。
──兵庫県出身の森松さんが、福島で暮らし始めた経緯は?
森松:夫の勤務地だったからです。夫は東京出身で、勤務医として福島を選びました。当時、私は東京で働いていたり、大学院に社会人学生として学んでいて、夫とは遠距離で交際していました。結婚して2年目で妊娠し、3年目の2007年には、福島で子どもと夫と3人で暮らし始めました。
 私は、子育てを終えたら福島に戻るつもりでいます。福島に骨を埋めるつもりですし、福島を捨てたつもりはありません。「夫が医者なら、どこででも働ける」と言われていますが、それは想像力を欠いた発言です。
 夫を代弁をすれば、医療従事者だから辞めるわけにはいかないのです。強制避難ではなく自主避難区域であるから、夫はとどまっているのです。「汚染されているから、福島を捨てて関西に」というのには反発を覚えますし、地域医療に携わるため医療過疎の福島を赴任先に選んだ夫の気持ちを、私は理解できます。
──5年で変化したこと、変化しなかったことについて。
森松:変化したことは、国家権力がさらに暴走したことだと思います。安保法を受けて、デモに行くようになったシールズなどの若者やママの会、違憲声明を出した学者の会など、安保法に対して、敏感に反応しています。それでも多数決の論理で、安保法が強行採決されました。

権力の暴走と憲法問題

 私は、原子力災害を通して、権力の暴走を感じています。事故から5年が経っても原子力緊急事態宣言が続いているという現実は、世界からどう見えているのでしょうか。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマという流れの中で、フクシマを切り離して無化するのでしょうか。だからこそ、権力の暴走に気づいた者の責任として、行動し続けることだと思うのです。
 損害賠償裁判の依りどころは現行憲法です。改憲されれば、基本的人権が蔑ろにされ、家父長制を強化して「家族を守るのは家族の責任」とされるでしょう。憲法は「法律の王様」と学校で教えられますが、国家権力を抑制し、国民の権利・自由を守るものであることを、もっと学校教育などを通して学ばなければいけないと思います。
 いま、私たちは「国民一億総目撃者」です。安保法で気づいた人がいることに希望を持ちながら、「原発か、安保法か」と考えるとそこでもまた分断させられるので、物事の本質を見極めながら、「おかしいことはおかしい」と、もの言える社会を作っていきたいと思います。

社会的使命を全うする

──「生活者としての自分」も含めて、今後の取り組みは?
森松:私は3・11まで、マジョリティの側を歩いていたと思います。普通に育って大学を卒業し、就職を経て、図らずもマジョリティの側でした。今回、震災と原発事故を通して、初めてマイノリティの側に立たされました。
 放射能汚染地域から避難することは、原則的で正当な行為です。でも、世の中の見方は違います。避難を強いられた母親たちは、「頭がおかしい」「放射能ノイローゼ」などと言われ、避難という当たり前のことをしているのに、数が少ないというだけで社会から否定されています。訴えること、声を上げることの難しさを肌で感じています。
 原発事故による被害実態が明らかにならないと、社会問題化も避難の権利を保障する制度もできません。私たちができることは、被害実態を明らかにすることです。原子力災害はまだ続いていて、避難・被災状況にあることを、証言し続けることが、私たちの役割です。経験し、知ってしまったいじょうは、もう元の生活に戻れません。与えられた役割と社会的使命を全うし続ける次第です。

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