連載・ロスジェネ世代の労働と社会の責任(3) 配達猫さん(アルバイト)インタビュー 聞き手:編集部・園

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非正規雇用・派遣切り・放射能汚染がれき焼却 派遣仕事のワーキングプアによる体調不良

 私は関西の音響専門校に入りました。就職活動では、希望する音楽スタジオでの仕事は少なく、あっても場所も遠い関東で低賃金、力仕事が大半でした。その時期に大型企業倒産が連続したり、99年に初めてのバイト先でも社長の賃金未払い・夜逃げなどもあり、企業就職に意欲がわかず、フリーターになりました。派遣仕事のワーキングプアです。


 しかしフリーターは賃金が低く、長く続けられません。00年には、ヘルプ出向した先で鈍臭そうだからと横領を押し付けられそうになり、派遣元に助けを求めたこともありました。ダブルワークを毎日続けたり、遠方への工場派遣にも行き、そこでも百人規模の派遣切りがありました。


 その後、関西の設計事務所で正社員につきましたが、パワハラ・ワンマン社長で、長時間労働。しんどいので、派遣社員に戻りました。派遣先の社内で、印刷物を作る部門から他部門に派遣される、今で言う二重派遣です。


 次の仕事部署では、支社出向のため雇用形態が変わりました。「いずれは外注社員を使う側に」と送り込まれた直接雇用の契約社員ですが、他の人の雇用形態や先輩庶務社員との業務格差などもありました。また、工業団地の周辺で空気が悪く、嫌みを言われながらの製図作業で、自律神経を壊しました。以来、ずっと体調不良です。嫌みを言われる一因は職場に年上が多すぎることで、ロスジェネを採用しなかったからです。


 退職を申し出ましたが、翌月からは本社に戻ることになり、また社内人材サービス系の部署で働きました。会社の思惑に沿って毎日部署を移動し、違う仕事の依頼がきます。人を物のようにこき使う一方で暇な日もあるという、「社内フリーター」はおかしいと思い、直接雇用でしたが転職をしました。


 09年から原発メーカーの下請けで働きましたが、原発作業員が泊まる宿におみやげを送るような賄賂体質の上司に文句を言ったら仕事を干され、他の上司に助けを求めたら改善しましたが、結局ここでも体調を崩して退職します。


 こうした転職の多さは、仕事や人間関係の負担が大きすぎるからで、みんな我慢しているだけです。私たちは、大量派遣切りと海外へ業務委託する時代の転換期の側杖を食らったのだと思います。


 3・11原発事故が起きて、原発は危険だと思い反原発デモに参加。しかし大阪でも放射能汚染がれきを燃やされたため、さらに体調が悪化。甲状腺が腫れ、身体中が痛く、もう無理だと避難を決意しました。引っ越し費用を貯めるために働いたうえで、13年春に大阪から北神戸へ避難しました。今も健康被害は続いており、被害者に何の補償もなく、原発や放射能の拡散は許せません。

親の介護・職場の女性差別 助け合いで生き残る共同の場を


 避難後は1カ月ほど寝込んでから仕事を再開しましたが、今度は実家の父母と祖母(施設入居)の介護問題が浮上。主な介護は父がしましたが、「介護は女がやるべき」という親戚や近所の偏見は根強く、私が通い介護であまり働けず収入が減る悪循環になりました。


 私たちは、親の介護と自分の貧困が直結します。その後母と祖母の女家族がほぼ同時期に亡くなり、私は家族の精神的な支えが一気に無くなりました。


 その前後から介護職員をしていましたが、昨年また契約期間内の派遣切りにあい、今は「ウーバーイーツ」と同様の仕事を経て、店舗直営のフードデリバリーをしています。 介護現場など女性が多い職場は、女性同士でうまくいかないと排除されがちです。それは、この社会に女性差別が充満しているため、女性は固まらないと不利になるからです。


 30~40代の女性は社会的に結婚と子育てがメインとされているので、親の介護や体調不良で働くことすらできないと、「何しているの?」と不審に思われます。


 昔は結婚が女性の社会保障の代わりでしたが、ロスジェネの多くは男女ともに金がなくて結婚は厳しい。恋愛からも距離ができますし、離婚も非常に増えています。日本の家庭構造が女性に無理を強いるからです。
 子どもがいたら、真っ先に守られるべきです。家族が減り、助け合いの必要性を実感します。私たちが生き残っていくには、女性同士や同世代の共同生活や共同の子育て、近所づきあいを作れたらいいと思います。

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