10月の論説委員会のテーマは「所得格差と貧困」。ありふれた日常語になって久しく、言葉のインパクトは薄れつつあるが、現実は深刻化する一方だ。背景には多国籍企業の搾取、非正規労働の蔓延、逆累進制を強める税制改悪、福祉政策の後退、民営化などがあろうが、あらためて現実を見てみたい。
富の偏在に関しては、さまざまなデータが紹介されている。上位400人の富が底辺1500万人の純資産を上回る米国は、中位水準の所得の半分以下で暮らす人々の割合を示す「相対的貧困率」でも上位に位置する(OECD諸国中第1位)典型的な階級社会だ。
歴史的に見ても、上位1%の所得がGDPの23%以上を占有したのは、1928年と2007年で、両ピークとも直後に経済崩壊(大恐慌とリーマンショック)が起きている。リーマンショック後、世界各地でオキュパイ運動、アラブの春など抗議活動が活発化したが、構造的転換には至らず、格差は広がり続けている。
格差が広がった政策的要因は先に挙げたが、忘れてならないのは、政権による労組弾圧と組織率の低下だ。故中曽根元首相が真っ先に行ったのが国労潰しを頂点とする労組弾圧だ。これはサッチャー、レーガンら右派政治家の役割と一致する。
労組の組織率と中間層の所得低下がほぼ一致するという統計データもある。利潤率低下に直面した70年代後半、資本は、抵抗勢力としての労働組合を潰して労働者への搾取を強め、民営化・財政赤字削減の美名のもと、福祉施策を削減し、利潤を確保するという転換を行ったのがこの時期だ。故中曽根元首相は、そうした歴史的転換のなかで資本の利害を体現した政治家といえる。
安倍政権下で急上昇する貧困率
ジニ係数で日本の格差を国際比較すると、日本は、0・335(2009~12年)と高レベルで、「平等な国」との幻想は消え去り、米国、イスラエル、英国などに次ぐ格差大国となってしまっている。
相対的貧困率の経年変化を見ると、冷戦崩壊後の1990年頃から上昇し始め、安倍政権下では、子どもがいる現役世代の貧困率が急上昇していることを、統計データが明らかにしている。
では、上位1%の所得シェアがどの程度拡大したのか? その国際比較はどうか?見てみる。最新年(2000~07年)が1990年と比較してどれほど上昇したかを示す統計データしか見あたらなかったのだが、米国・カナダ・英国では、90年比で4~5%と大きく拡大している一方、フランス・スペイン・日本などでは1%程度とほとんど横ばいである。しかしこれは、データが10年以上前と古く、2007年以降の変化を考えなければならない。日産・ゴーン元社長の背任事件に見られるように、日本の上位1%の所得増加は、加速していると考えた方が合理的だ。
ポスト・キャピタリズムへ
格差拡大には、経済のグローバル化による工場の海外移転や技術革新による失業・転職などの経済的要因も確かにある。それは避けがたい歴史の流れだ。だからこそ、再分配による格差是正機能が発揮されてしかるべきであり、逆に弱め続けている政治の責任は、より一層重い。国家の役割があらためて問われている。
不平等の拡大は階級闘争を活性化させ、広がる反乱によって是正される、という歴史がくり返されてきた。現代資本主義の矛盾は、格差問題とともに気候変動としても現れている。平等・エコロジーを重んじる「お行儀のいい資本主義」は可能なのか? その答えは、香港・チリ・レバノン・スーダンなど世界各地で多発する反乱が示している。ポストキャピタリズムの社会構想が語られ、各地で実践が試みられている。