釜ヶ崎監視カメラ弾圧
11月6日、釜ヶ崎にて警察による弾圧が起き、4名が不当に拘束された。団結テントに向けられた監視カメラにゴム手袋をかぶせ、撮影できないようにしたことが逮捕理由なのだという。きわめて正当で、しかも非暴力的なプロテストにもかかわらず。
この弾圧を報じるマスコミの新聞報道は、これを「防犯カメラ」と表記した。はたしてそれは、「防犯」のための装置なのか。たとえば寺島珠雄編『釜ヶ崎語彙集』(新宿書房、2013)には、次のようにある。「(西成警察署の隊列が)朝のあいりん総合センター寄せ場をはじめ地域内を巡回する姿は、いうならば労働者に対する制服の示威行進である。地域内に12もしくは13ケ所専用テレビカメラが据え付けられ、いつでも頭上や背後から民衆一般を監視する仕掛けもある」(225頁)。ここに記されているように、それは労働者を絶えず監視することを目的とする「仕掛け」であった。
事実、70年代初頭の当時から暴力団による薬物売買などは横行していたが、それらの違法行為は長年にわたり黙認されてきた。また過去には、監視カメラの撤去を訴える訴訟が起こされたことがある。このとき裁判所は、労働組合事務所に向け設置された監視カメラに対し違憲・違法の判決を下し、撤去させたのだった。
6日に拘束された4名はすぐさま釈放されたが、この問題を軽んじてはならない。2012年に「西成特区構想」が始動してから7年を経た現在、これまでなにが起きたのかを点検する作業が必要だろう。試みに、強制排除や警察介入をめぐる出来事を振り返ってみよう。特区構想が始動する直前の2011年4月には、「四・五釜ヶ崎大弾圧」が起きた。特区構想の最初期になされたのは、監視カメラの大規模な増設だった。16年3月には、花園公園にて行政代執行が遂行された。
25年大阪万博むけて軍事化する警察の暴走
さらに本年4月には、自治的空間として機能していたあいりん総合センターが強制的に閉鎖され、このときは行政代執行の手続きすら無視して機動隊が動員された。またこの直前には、1名の抗議者が不当に拘束されている。
このように振り返るならば、弾圧を狙いとする警察力が一貫して作動しつづけていること、さらには時を経るごとにその暴力が度を越しつつあることは、明らかだろう。オリンピック開発で再編されゆく東京では、「テロ対策」を名目として都市を軍事化しようとする動きが広がっている。2018年に、隣接する川崎市では、反対の声が幅広くあがったにもかかわらず、軍事・防衛見本市「イスラエル防衛および国土安全保障エキスポ(ISDEF)」の開催が強行され、本年11月には千葉県の幕張メッセにて「防衛・セキュリティ総合展示会(DSEI JAPAN 2019)」が開催されている。2025年の万博開催に向けて、この警察的かつ軍事的な趨勢はなし崩し的に暴走するのではないだろうか。10月の弾圧は、そのような危険を示すものと考える。そこには、ジェントリフィケーションのみならず、都市の軍事的趨勢(military urbanism)が問われている。