秋田・山形・新潟・宮城で野党統一候補が勝利
参院選が終わった。投票率は5割を切り(48・8%)、与党が改選過半数を確保するという残念な結果だ。しかし一方で、1人区32選挙区のうち10選挙区で野党共闘候補が勝利。なかでも、東北地方は6県のうち4県で野党候補が勝利し、前回参院選の結果(5県で野党候補が勝利)も併せると、安倍政権への根強い怒り・不信が渦巻いていることがわかる。また、「れいわ新選組」がラディカルな主張と候補者選定で注目され、2議席を獲得。重度障がい者が国会議員として活動する条件をどう整備するのか? 国会と政府は問われることになる。 前号で、安倍政権の農政・復興政策に対する東北の漁民、農民の厳しい批判を紹介したが、選挙結果を受け、あらためてお話を聞き、状況をまとめた。(編集部・山田)
イージス・アショアへの怒りが 安倍政権の反感を招いた秋田
「反対運動には弾みがついた。政権の強硬姿勢に一定の歯止めをかけたのは間違いありませんが、迎撃ミサイルのイージス・アショアは既に契約しています。配備地を探さねばならない政府は、『秋田がダメなので山形に変えましょう』とはなりにくいことも事実」
―こう語るのは、秋田市議の倉田芳浩さん。
今回勝利した野党統一候補の寺田静氏は、連れ合いの寺田学氏が現職衆議(立民)、その父は元知事という政治家一族で、「知名度はあるが同時にマイナス要因でもあった」(倉田氏)という。地元有力政治家一族が野党候補となることに反発する有権者がいるのは、当然だ。
しかし同候補と支持者回りもした倉田氏は、この状況を逆転させたのは本人の資質・人柄だろうと語る。インターネットを使った草の根の勝手連的動きも勝利に大きく貢献した。
イージス・アショアの配備「適地」とされた自衛隊秋田市新屋演習場近隣の新屋勝平地区での反対運動は、「今まで本当に孤独だった」(新屋勝平地区振興会)という。
しかし、ずさんな計算間違いを根拠にした「報告書」や、地元のお祭りの日に説明会が設定されたこと、防衛省職員の説明会での居眠りなどの発覚により、地元住民は「馬鹿にされている」と憤りが募った。その声を広げ、争点に押し上げたのは、寺田候補の功績だ。「地元紙・『秋田魁新報』による、配備反対の論調での紙面作りの影響も大きい」(倉田氏)。
危機感を抱いた安倍首相と菅官房長官が、投票日前日、秋田駅前で演説したことに触れて倉田氏は、「逆効果だった可能性はある」と語る。「政権中枢が2度も来るほどイージス・アショアを配備したいのか! という県民意識を生み出し、注目度を上げた」ためだ。
宮城・新潟 女性統一候補 無党派層・女性票をつかむ
「忖度」発言で国交副大臣を辞任した塚田一郎氏の当落が注目された新潟でも野党統一候補・打越さくら氏が接戦を制した。「ど素人で落下傘。勝つ気があるのか」―当初、野党勢力間では立憲民主党による県外出身の打越氏擁立に不満の声もあった。
そこで、選対本部長の立民の西村智奈美衆議、国民の森裕子参議と無所属の菊田真紀子衆議が「越後の3人娘」を名乗り全面的に応援。各地の街宣で知名度不足をカバーし、無党派層が多いとされる新潟市で大きく票を伸ばした。
「消費税ゼロ」を主張し宮城で勝利した石垣のりこ(立憲)候補は、「企業と高所得者から徴税すれば財源はできる」と話題を呼んだ。同候補は、第一次産業の活性化、原発ゼロも主張。準備期間3カ月足らずの新人ながら、現職の与党候補を破った。
勝利した野党統一候補は、各党の協力体制構築の成功に加え、草の根市民運動も力となっている。明確な主張、特に政治に失望する「無党派層」に届く政策を練り上げることが今後重要だ。
「れいわ新選組」 の可能性
ラディカルな主張と選挙戦術で大きく票を伸ばしたのが、山本太郎となかまたちだ。「れいわ新選組」の経済政策は、「薔薇マークキャンペーン」のそれだ。(1)消費税0%を目指し、まずは5%に減税、(2)「デフレ脱却給付金」としてミニ・ベーシックインカムの導入、(3)奨学金徳政令、(4)保育・介護・障がい者介助・原発作業員の公務員化など、貧困層や多くの若者が抱える困難の解決策を提示。
重度障がい者を特定枠で優先する選挙戦術も、強い共感を呼んだ。重度障がい者に注目を集め、国会に自己改革を突きつけた意義は大きい。
「左派」を自認する人々からは、「ポピュリズム」への違和感、「れいわ」という党名への反発などで、警戒感が表明されている。しかし、「持たざる者」としての階級概念こそ左派の根幹だったはず。「左右ではなく上下」という政治感覚は、欧米で勢いを増す「反緊縮運動」にも通じる。
取材を終えて(山田)
関西で生活していると東北は遠い。大阪では改憲勢力が議席を独占したが、農業・水産業など自然とともに(時に格闘しながら)生きる人々が、安倍に牛耳られる政治をどう見ているのか? その一端を知れた。
家族的小規模農業・漁業を棄て、大規模化の果てに企業に開放するという『新自由主義」が露骨に展開されている東北地方、それに無関心でいた都会に住む私の生活の有り様こそが問われているのではないか。