9年 共産同大阪中電(秘密)細胞結成 61年 労働者協会(『烽火』)設立 62年 日本共産党中電細胞解散ー中電労研 (第1次労働運動研究会『電通労研』)結成 62年 (関西)共産同結成 64年 関西労働者学園設立 65年 共産同統一委員会中央委員(大崎悟) 67年 関西地区反戦連絡会議議長(『叛乱』) 71年 阪神労働運動活動者会議結成 89年 電通合同労組全国協議会議長就任 89年 大阪全労協議長 92年 自治・共生・連帯の社会主義を めざす政治連合結成 04年 全労協副議長就任 19年6月28日 死去
前田さんといえば全労協副議長、労働情報代表などと、階級的労働運動の構築と左翼の総結集をめざしたリーダーとしての華々しい経歴は枚挙にいとまがない。
いつごろからか、その前田さんが私たち尼崎の会議に参加されはじめたのは。自分は尼崎の人間だといって文句も言わせない、極めつけは定例会の日を変えろという。理由は、火曜日は近くの中華店が休みだ。そこのワンタンがうまい、芦屋から来て、それを食べるのが大きな楽しみだという。仕方なく変えた。
実を言うと前田さんは、諸先輩から「尼の人」とは見られてない。全国的に名をはせた人にとって「尼の人」など意味はないはずだが、前田さんにとっては大きな問題だった。そのなぞは、前田さんが監修した「杉本昭典と尼崎の政治・労働運動」のなかで、地域活動を基礎とした政治運動、社会運動に一種の羨望のような文章を見つけることで理解した。
会議に参加した前田さんから見れば、市政など制度圏での妥協した議論など歯がゆくて仕方がなかっただろう。私たちもむやみに全国政治に引っ張りまわす前田さんに閉口することもあった。
しかし、最後の最後まで、尼の人前田祐晤さんと共に闘うことができたことを私たちはこの上なく誇りに思う。前田さん、ありがとうございました。