新聞やウェブメディア、講演などで東京オリンピックに反対の意思を表明した平尾剛さん。発言に対して、スポーツ界、大学内の体育教育関係者はほぼ無反応だったという。元ラグビー選手として反対の理由、そして教育者として、多くの選手の憧れの的とされるオリンピックの外にこそあるスポーツの豊かさについて聞いた。
平尾剛さんプロフィール 1999年から2007年まで神戸製鋼コベルコスティーラーズで活躍、1999年に第4回ラグビーW杯に日本代表として出場した。現在は神戸親和女子大学発達教育学部ジュニアスポーツ教育学科や、クラブチームで指導を行う。
――元スポーツ選手として、東京オリンピックにおいて、特にどのようなことを問題だと思いますか。
平尾‥過剰な勝利至上主義と商業主義です。たくさん資本が入り込むことで、スポーツイベントとして肥大化し、選手が萎縮しているように感じています。
ラグビーの場合、勝ちにこだわると効率的な戦術を選ぶのですが、それが行き過ぎると、選手やチームの個性がなくなる。そのような画一化がラグビー以外の競技でも進んでいるようで、オリンピックに向けた試合を見てもワクワクしません。「東京五輪でメダルが取れる」を基準にスポーツが消費されているようで、そこが一番心配です。
――ニュース番組で、獲得したメダル数を国別に発表するような報道の仕方をどう感じますか。
平尾‥あれこそが勝利至上主義です。前回の東京五輪で活躍した外国選手について、年配の方から伝え聞くことがあり、柔道のヘーシンクや、マラソンのアベベが人びとの記憶に残っていると実感しています。ほとんどの人がテレビで東京五輪を見ると思いますが、「日本選手がメダルを取った」「何位だった」と、ナショナリズムを高揚させるような今の報道で、個々の選手や試合の記憶は残るのか疑問です。
オリンピックの勝利至上主義、 商業主義に歪められるスポーツ
――オリンピックとワールドカップとの相違点はどのようなものだと思われますか。 平尾‥第一に予算や投入される税金が違います。また、オリンピックの方が取材の制限も多いのです。制限はワールドカップにもあり、「ワールドカップ」という言葉が商標登録されているので使えないんですよ。やめたらいいと思いますけどね。
僕が代表として出場した1999年のワールドカップは、お祭りのような雰囲気がありました。開催地のカーディフ(ウェールズの首都)では街中で歓迎してくれ、練習の合間に寄ったパブでは地元の人にビールをおごってもらったり、応援されたりしました。もちろん勝敗は楽しむけれど、あくまでスポーツを愛する人の祭典という節度を感じました。
東京五輪には節操がない。首相が汚染水の問題は全て解決済のように言って招致し、裏金問題は未解決で、公園の野宿者を追い出すなど、節度が感じられません。
――勝利至上主義に疑問を持つようになったのはいつ頃からですか。
平尾‥僕がいた神戸製鋼は、常に勝利を期待されているチームだったのですが、ある年に全国優勝が決まった瞬間、喜びよりも先に安堵感が来て、「期待に応えられた」「しばらくラグビーを休みたい」って思ったことがあったんですね。
引退後に競技人生を振り返って、勝つことだけではなく、身体を使ってできることが増えたり、チームメイトのコンビネーションを高めるために技術を高めたりすることが楽しかったなぁ、と思い出しました。
また、当時の神戸製鋼はたくさんのパスをつなぐ戦術をとっていました。もちろん、勝つための戦術ですが、パスが多いと失敗する可能性もあるので、効率的ではないんですよね。
失敗を恐れないことを良しとした故・平尾誠二監督の精神が、僕が入団した時も残っていたのでしょう。そんなチームにいたから、最近入ってきた効率的な戦い方に疑問を持てたのです。
スポーツの本質を 伝えていきたい
――オリンピックと関係ないところにある、スポーツの楽しさとは、どのようなものですか。
平尾‥スポーツの本質、それは心身の拡張を経験することだと思います。心身の拡張とは、体を動かすためのカンやコツなど体に宿る知性、身体知がバージョンアップする感じです。
ラグビーの場合、前に敵がいて後ろにパスする時は、後ろにいる選手が前の選手に声をかけ、その声を頼りに後ろにパスを出します。パスには技術だけではなく高度なコミュニケーションや、相手に対する思いやり、理解が必要になるんです。
ラグビーには他の競技に比べてパスが難しいという特徴があります。競技の特性から得られる、心身の拡張が経験できる場がスポーツの本質です。
オリンピックに代表される勝利至上主義だと、リーグ戦の勝者は1チームで他は敗者、一部のチームや選手だけが賞賛を浴び、他は劣等感を植えつけられます。また、オリンピックに出られる、インカレに出られるなど、目の前にぶら下げられた「人参」に向かって努力し、目標が叶えられたり、挫折した途端、燃え尽きてスポーツをやめてしまう選手も少なくありません。
勝敗だけに執着せず、スポーツの根源に触れられるような場を、講義やラグビーチームの指導を通して作るのが急務であると僕は考えています。