食べない権利を保障せよ
ゲノム編集食品が、今夏にも流通するのではないかと言われている。ゲノム(ある生物の遺伝情報全体をさす)上の特定の遺伝子を操作する、ゲノム編集という技術が使われる。厚労省は、新たな遺伝子は組み込まず、削除するだけであれば安全性に問題ないというが、信用できない。「間違った削除」は起きないとでもいうのか。
ゴーサインは、2018年6月に閣僚決定された「統合イノベーション戦略」で出ていたようなものだ。同戦略は重点領域のひとつに「バイオテクノロジー」を挙げ、ゲノム編集技術で操作した生物の法的位置付けについて年度内に明確化する方針を固めていた。その後、丁寧な議論もなく、政府のスケジュール通り半年も経たずに性急な結論がまとめられた。安倍政権下ではいつものことだが。
そして3月18日、厚労省の専門部会は、この技術によって品種改良された農水産物の多くについて、安全性審査を求めず、国に届け出るだけで食品として販売してよいとする報告書をまとめた。遺伝子を削除するだけの方法は、自然に起こる突然変異や従来の品種改良と同じだというのだ。
でも、わたしは食べたくない。筋肉ムキムキの豚は気持ちが悪い。ところが近頃は、最新のテクノロジーに対して生理的な拒否感を示すと、ネット上で「文系脳」とののしられたりするらしい。食べたくないものは食べたくないのだから、うるさいというのだ。
マズいことになったものだと思う。というのは、マズくはないらしいのだ。ややこしい言い方になった。つまり、拒否したくても味覚では判別できないそうだ。放射能に汚染された食べものと同じように。それどころか、「肉厚マダイ」を開発した京大の研究者によると、味は天然に遜色ないという。はっきり資本主義の味がすれば、ただちに拒否できるのだが。
なので当面、ゲノム編集食品であることを表示させるよう働きかけなければならない。政府がゲノム編集された食品について表示義務付けを検討しているとの報道もあるが、表示の規制を担当する消費者庁は、官僚的「忖度脳」をフル回転させて対応を考えているところだと思われる。というのは、従来の遺伝子組み換えでは、食用油や醤油など改変された遺伝的物質が検出されないものに表示義務はなく、遺伝子を削除するだけのゲノム編集食品に表示を義務づけると、著しく整合性に欠けるからだ。
そもそも、生命を操作するゲノム編集は、知的所有権によって自然を私有財産として囲い込み、独占する手段になりうること、また、優生思想につながる技術で、表示すれば済む問題ではないことも踏まえる必要がある。だが、まずは表示させないと拒否もできない。
わたしたちは、日々の「食」がただちに最先端の科学技術や、グローバルな支配構造とつながるような時代を生きている。面倒なことになったものだ。しかし、時代がどのように変容しても、「自然と人間の物質代謝」(マルクス)としての「食」は、自然の循環を破壊しつつ増殖する資本の論理への抵抗の拠点になりうるはずだ。ここからフランスの「黄色いベスト運動」やイギリスの「絶滅への反逆」につながる糸口を探らねばならない。
4月30日の朝日新聞朝刊「折々のことば」は、「食べることは、もっと政治の中心にあっていいはずなんです」という藤原辰史(農業史)のことばを取り上げている。そしてコラムを担当している哲学者・鷲田清一は、「だからそれは社会変革の切り口にもなる」とコメントを添えている。切り口にしたいものだ。