困窮の「底が抜けている」野宿の労働者
「知り合いが悪いことして捕まってるんや。なんとかしたってくれへんか」―夜回りで出会った労働者からこんな相談を受けて、拘置所に面会に行き、弁護士をつけて裁判を支援したり、出所後の暮らしを支援することもあります。
Aさんは長居公園で長く暮らしていた60代の労働者。自転車を窃盗した容疑で逮捕されたと聞き、大阪拘置所に面会に行った。数度の面会、公判を経て、罰金刑の有罪判決。未決勾留期間が金銭に換算して算入され、即日釈放。これまでの公園での暮らしぶりから、アルコール依存症の傾向がある。今回も、釜ヶ崎で酒を飲んで自分の自転車の置き場がわからなくなり、酔いの勢いで自転車を拝借したのだった。
Aさんは長居公園の地域でアルミ缶を集めて、お金ができると釜で飲み倒す暮らし。10年ほど前までは釜ヶ崎から仕事に出ていた。面会では何度も「もう酒は懲りた。治療を受けたい」と繰り返し、公判でもそう陳述していた。釈放後は公園に戻らず、生活保護でアパートを借りて生活することを希望していた。生活再建に向け、アパートの契約手続きと並行して、アルコール依存症の専門医のいる病院に頼み込んだ。
出所の日、オシテルヤに立ち寄ってもらい、治療のために入院をし、退院後は作業所に通うなどして生活を立て直そうと話し合った。数日後、病院に送り届けて入院の運びとなる。ところがその一週間後、病院から電話。「Aさんがいなくなった」―すぐに見つかった。借りたばかりのアパートで、一人で飲んでいた。
そんな折、体調不良を訴えて検査の結果、初期の胃がんが見つかった。すぐに入院して手術の予定をしたものの、落ち込んでイラつき、大きな病院に手術のために転院するという日にまた脱走。
部屋を訪問してもいつも酔っ払っている。釜の行きつけの飲み屋でツケで飲むこともあるそう。生活保護費はすべて飲み干した。短気で短絡的で、粗野で自分勝手な労働者にとって、釜ヶ崎は天国。
長居公園に戻って仲間と飲んでいることも。入院しよう、病気の治療をしようと言っても、「わしの命や。もう覚悟はできてる」と。―いやいや、そんなすぐ死ぬようなガンじゃないよ。でも食事を携えて部屋をのぞくと「ありがとう」と、ひとり暮らしは寂しいとこぼしたりもする。がんはこわいが、酒はやめられない。病院はいやだが、ヘルパーには来てほしい。
そうしているうちに、三度目の入院と脱走を繰り返した。以降はあちこちの病院に掛け合っても「お酒をやめないと診られない」とケンもホロロ。生活保護のケースワーカーは、保護費もすぐに使いこんで借金で飲むし、入院しても脱走するし、面談も酔っ払ってくるし、部屋にいないしで、保護の停止をちらつかせる。
野宿を経験した労働者の支援の難しさ。困窮の「底が抜けている」こと。家を失ってもお金がなくても生きていけると思えば、ぼくらの常識で「普通はこうする」「得だ」という観念が通用しない。それはそれですばらしいことだが、Aさんの状況では自分を追い詰めることにしかならない。
最後にたどり着いたのが、いま建て替え問題で揺れる「あいりん総合センター」内にある大阪社会医療センター。釜ヶ崎の労働者にずっと寄り添い続けてきた歴史を持つ病院。医療センターの先生曰く、「どれくらい飲むの? 2週間だけやめて。○○病院、冷たいな。患者、選ぶからな」「ここで手術しよ。酒飲んじゃうなら入院期間も短くしよか。飲んでもいいけど5月入ったら減らして。1日2合くらいでとめといてな」。Aさん、医療センターで手術をするつもり。初めて胃カメラも飲んだ。
公園と釜と生保のアパートと、縦横無尽に行き来するAさんにまだまだ振り回されそうだ。