沖縄県知事選で玉城デニー氏が勝利した。復帰後の知事選では過去最多得票となった。出足の遅れや「オール沖縄」の足並みの乱れで厳しい選挙を強いられたが、大方の予想を覆し安倍政権のなりふり構わない組織戦を跳ね返した。政権側は、企業・団体への利益誘導、創価学会を動員したローラー作戦、果ては右翼のヘイトなども動員した選挙戦術を最大限駆使した。しかし県民は、「辺野古」を封印し交付金しか語らない、安倍政権丸抱えの佐喜眞候補の姿を見て、玉城氏の辺野古新基地反対を力強く支持した。
この勝利は、改憲を標榜する安倍政権への大きな打撃となり、公明党・創価学会にも少なからぬ動揺を与えている。現地で動き続けた辺野古の山本英夫さんと、沖縄出身の阪南大学・下地真樹さんに寄稿して頂いた。(編集部)
大逆転はなぜ起きたのか?政府の「勝利の方程式」覆した17日間 フォトグラファー/名護市在住 山本英夫
【予想外の大勝】
ご承知の通り、オール沖縄の玉城デニー候補が396632票、自公維新推薦の佐喜眞淳候補が316358票となり、8万票の差をつけて大勝した。自治体ごとの勝敗も名護市をはじめ27市町村で玉城候補が勝ち、佐喜眞候補は14自治体にとどまった。基地問題で揺れる宜野湾市は、同市長選を含め自公維新側が勝つ結果になった。
【「勝利の方程式」を打破】
14年の県知事選は自民党推薦の仲井真弘多候補に対し、オール沖縄の翁長雄志候補が10万票の大差をつけた。だがこの時の沖縄の公明党は、新基地建設反対であり、知事選も中立だった。他方、維新の下地幹郎候補が7万票を獲得した。今回に換算すれば、自公維新が控えめに見ても3万票余り多い勘定になる。今回の玉城陣営は組織選だけでは勝ち目なしだったのだ。
自公維新(国側)は、今回も総力でしらみつぶしの票取りをやった。公明党は創価学会の会長まできたそうだ。玉城氏への誹謗中傷が飛び交い、期日前投票では、写メールで誰に投票したと報告させたり、やりたい放題。佐喜眞陣営の看板は「県民所得300万円」と「対立から協調へ」。経済で人心を吊り上げ、政府が囲い込む手法だ。
【玉城陣営の強さ】
玉城陣営は出だしの遅れを9月20日過ぎの3連休でダッシュをかけた。故翁長知事の遺志がかかり、沖縄の未来がかかった選挙だとの認識が急速に広がった。選挙の運動量も街の反応もぐんと良くなっていった。
候補者の人間性も大きかった。明るく、わかりやすく、親しみやすい。話し言葉に長け、コミュニケーション能力の高さ。国の「勝利の方程式」が裏目に出た。否、裏目に出るまでに追い込んだのだ。国側が隠そうとした新基地建設の是非を争点に押し上げた。また「基地と経済振興が2項対立するものではない」と、沖縄の自律経済を強調した。
玉城候補が強調した「多様性の重視」と、「誇りある豊かな沖縄をつくるのはあなたです」との呼びかけは、有権者一人ひとりの心を掴んだ。こうして沖縄アイデンティティが喚起され、国の強行策との矛盾が一人ひとりの目に見えてきたのでないか。まさに沖縄の底力が開花したのだ。
【玉城知事と共に】
10月4日、玉城デニー沖縄県知事が就任した。沖縄はこれからであり、闘いはこれからだ。読者の皆さまが、沖縄への関心をいっそうむけていただき、沖縄の未来が皆さまにも降りかかってくることを知っていただきたい。
多様な個々人包み込む玉城氏の「ゆるやかなアイデンティティ」阪南大学准教授 下地真樹
ちょうど今、知事選の夜です。玉城デニーさんの当選が報じられているところ。今回の選挙で負ければ辺野古の建設阻止闘争は完全に終わっていた。そう考えるとうれしいというよりほっとしたのが正直なところです。
翁長雄志という人物について。僕にとっては、オール沖縄の推した県知事である以前に、仲井真県政をも支えてきた地元保守政治家の重鎮です。そんな彼が「イデオロギーよりアイデンティティ」と言う時、少し白けた気持ちになったのも事実です。「米軍基地に必死で抵抗してきた人たちとあなたとは同じではないでしょう」という気持ちがありました。
しかし今にして思えば、それは当の翁長氏が一番痛感していたのかもしれません。以前はともかく、少なくとも14年に県知事になってからの翁長氏が「沖縄を守るために全力で戦った」ことは確かだと思えます。辺野古の埋立承認を取り消し、裁判闘争で敗れて取り消しを取り消し、しかし諦めず埋立承認の撤回への道筋をつけました。そして力尽きて亡くなった。文字どおり命を削って戦った。
そして、玉城デニー氏を後継候補の一人として指名していたことは、すごいことだと思いました。沖縄の小選挙区をしっかりと勝ち抜き、国会議員としての十分な実績を積んだ玉城氏であれば、その力量は十分以上です。まさしく勝てる候補。
翁長氏が生前に後継候補についてしっかりと方針を残していたことは、後継候補選定の混乱を避けるうえでとても重要でした。これがなければ今回の選挙の様相は大きく変わっていたはず。翁長氏の先見の明と言えるでしょう。
もう一つ。玉城氏が「イデオロギーよりアイデンティティ」という言葉を使った時、翁長氏が最初に使ったときに受けたのとは全然異なる印象を受けました。アメリカ人の父を持つ玉城氏がこの言葉を口にする時、その意味は狭い民族主義的なアイデンティティではなく、一人ひとりの多様なありようを包み込む「沖縄」という緩やかなアイデンティティのイメージとなるからです。玉城氏が引き継ぐことで、言葉に新たな意味が生まれた。その意味でも翁長氏の人選は絶妙だったと思います。
言うまでもなく、玉城新知事を待ち受ける状況は厳しいものです。安倍政権は相変わらずの強硬姿勢を続ける以外の方策も意志も持ち合わせていません。ウンザリした気持ちにもなりますが、それでも事態の打開の可能性はあるはずなのです。
沖縄は拒絶の意志をハッキリ示した。そのことを、県外に暮らす僕たちがどのように引き受けて生かしていくのかが問われることになるのでしょう。身がすくむ思いですが、やるしかないです。共に頑張りましょう。