【オシテルヤン日記】さまざまな人が交差する場所から

またいっしょに歩むことができる日を楽しみに コミュニティスペース オシテルヤ 中桐康介

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「木村さん」

 小春日和の日曜日、奇妙な縁を感じながら、大阪府南部ののどかな丘陵地帯に車を走らせました。精神科病棟に入院している木村さん(49)に、久しぶりに会いに行くためです。カギのかかった病棟に入るとすぐに、木村さんが手を振りながら大声で話かけてくれました。「どうしたんですか、急に!?」

 面談室に移ってからも木村さんは、大きな声で話し続けました。若いころにバイクであちこち旅行した話。アメリカですし屋さんをしている友人がいて、泊めてもらったときの話。お母さんが脳梗塞で倒れてから、障害の残ったお母さんを妹さんと2人で介護をして暮らしていた話。

 太い眉、大きめの歯、きれいにひげをそった頬に、短く整えた髪、明るい色のセーター。野宿生活をしていたころの木村さんからはかけ離れた姿で明るく話を続ける木村さんに、ぼくもうれしくなっていました。

初めての出会い

 木村さんと初めて会ったのは、10年以上も前です。ぼくが長居公園でテント生活をしていた当時、木村さんはぼくらのなかではすでに有名人でした。上半身裸で、髪もひげもぼうぼう。ぼろぼろのシャツを着て、くつも履かず、人目もはばからず大股で歩いて、ベンチでゴロリ。誰もがギョッとする絵に書いたような「ホームレス」。

 話しかけても返事もくれないし、靴や衣類を手渡しても気に入らなければすぐにほうり捨てて、裸足で闊歩していました。炊き出しのときにも、労働者に配食して「いただきます」をする前に、おもむろに鍋に手を突っ込んで食べようとして怒られたり、犬猫のように「シッシッ!」と追い払われたりしていました。近所の小学校を半裸でのぞきこんでいたとのことで、公園事務所に苦情もありました。

 テント村で寝泊りしたことは一度もないですが、つかず離れず、長居公園や周辺の公園を拠点に暮らしていました。

「中桐さんですよね」

 ぼくらが強制排除になってからは会うこともなくなりましたが、数年後に突然の邂逅がありました。当時ぼくは浪速区のある施設で仕事をしていましたが、ある日突然、館内の清掃をしている方に声をかけられました。「中桐さんですよね!?」―太い眉、大きめの歯、長い髪を後ろで束ねた快活な青年。誰だかわかりません。「木村です。長居公園でお世話になりました」、こう言われてもまだピンと来ません。

 でも野宿の労働者とは多く出会ってきたので、こんなかんじで「ぼくはわからないけど相手はぼくのことを知ってる」ということはよくありますから、このときも気づいたふりをして「久しぶり。お元気そうですね」と適当なあいさつをしました。後に、木村さんの支援者から彼がここで仕事をすることになった経緯を聞いて、ようやくあの人か!と気づいてビックリ。

 お世話をした覚えはないんだけど、当時、野宿の仲間の中にも木村さんを犬猫のように扱う人もいる中で、人として付き合おうとしていたとは思います。それで覚えてくれていたんでしょうか。

 このころの木村さんは、生活保護も利用しながら、午前中のみ掃除の仕事をし、午後は支援されている方が開いているサロンに通ったり精神科に通院したり、たまにビールも飲んだりして暮らしておられました。その後、ぼくも勤務先をオシテルヤに変え、木村さんも別の現場に移ることになったと聞きました。

三度目の再会

 三度目の再開も何の前触れもありませんでした。今からちょうど2年前、通勤途中の長居公園で、見覚えのある、いや一度見たら忘れない、10年前と同じインパクトのある風貌の木村さんとすれ違ったのです。タイムスリップしたかのようなその姿! あまりにビックリして、声もかけずに通り過ぎてしまいました。それからはたびたび、夜回りのときにおにぎりを渡したり、通勤途中にもあいさつをしたりしながら過ごしました。

 木村さんはかつてと同じように、長居公園周辺で寝泊りし、コンビニや公園内のゴミ箱に捨てられている食べ物を食べて暮らしていました。マンションの軒先や銀行のATM内で居座っている木村さんにたびたび苦情が寄せられており、警察官に腕をつかまれているところに出くわしたこともありました(もちろん声をかけて、警察官には引き払ってもらいました)。

地域の眼差し

 10年前と違ったのは、ぼくらのところに届いたのは苦情ばかりではなかったこと。地域のCSW(コミュニティ・ソーシャルワーカー)の方がお電話をくださり、木村さんに関連して、孤立した野宿者とのかかわりについて、率直な相談を投げかけてくださったのです。このお電話をきっかけに、町会の方や民生委員さん、地域の福祉事業者、小学校やPTAの方などを交えた「地域ケア会議」が開催され、ぼくもお話をさせていただきました。

 会議では「得体のしれないホームレス」をどう扱ったらいいか戸惑っている方に、この人には木村さんという名前があって、以前は清掃の仕事もしており、快活に人と付き合い、精神科に通って治療も受けていた方、という具合に、骨格を見せ、肉づけをしていきました。「根無し草」という誤解に対し、種も根もあり、育ってきた過程もあるんだ、ということを伝えていく作業でもありました。

 この10年の間に「日雇い派遣村」を契機に貧困問題が「発見」され、生活困窮者支援法の制定など社会的な環境の変化があり、「我が事まるごと」をキャッチフレーズにした「地域包括ケア」の考え方が広まるなか、木村さんに対する地域のまなざしも大きく変わったのだと実感しました。

 手足の爪が伸びて黒く汚れていたので、こんど爪切りを持ってきますわ、と話していたころ、ふと、しばらくのあいだ木村さんを見かけなくなっていたことに気づきました。どこに行ったのだろう。ほうぼうに連絡をしたり、ほかの野宿の人に尋ねたりして、どうやら木村さんが万引きをして警察に捕まり、そのまま入院しているらしいことを聞きました。でもたぶん万引きじゃなくて、あのとき鍋にパッと手を突っ込んだときと同じように、食べ物をつかんじゃったんだろうな、と思いました。

 次はいったい…

 別れ際に「また来てください!」と大きな歯で笑いかけ、丁寧なお辞儀をしてくれました。木村さんは「早く退院したい。退院したら住吉区で仕事をしたい」と話しています。オシテルヤがそのお手伝いをできるかもしれませんし、そうはならないかもしれません。退院してアパート暮らしを始めても、また野宿生活に戻ってしまうかもしれません。どうなるかはわかりませんし、どんな暮らしが「木村さんらしい人生」なんて言うべくもありません。野宿生活になることが一概にダメだとも思いません。

 ただぼくは楽しみに思うのです。裸足で公園を闊歩している姿、いきいきと掃除の仕事をしている姿、地域の人に見守られながらたくましくひとりで生きる姿、大声で快活に人生を語る姿…、次はいったい、どんな新しい姿を見せてくれるのかを。その人生をまたいっしょに歩むことができる日を。
◆オシテリヤ◆ 大阪市東住吉区にあるコミュニティスペース。野宿者元野宿者が集まる作業所を運営し、ヘルパーの派遣事業も展開している

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