自身も不登校の経験をもち、研究者として「生きづらさ」を追究する貴戸理恵さん。インタビュー後半は「生きづらさ」を抱える人へのメッセージを含むものとなった。
「づら研」のスタート
――「づら研」スタートの経緯と意義は?
貴戸:東京から関西に移ってきて『不登校新聞』の元編集長・山下耕平さんと出会い、「生きづらさから考える当事者研究会(通称:づら研)」を2011年6月にスタートしました。
「づら研}は、当事者主体の研究会です。自らの体験を話し、自分研究のレポートを題材に議論を進めます。私も、生身で関わることの怖さと魅力を学びました。それまで、不登校経験を持つ人にインタビューをしながら研究してきました。そこでは、語られたことを中心に「どんな人なのか」を解釈していきます。でも、{づら研}では言葉のレベルではなく、場を共有するなかで身体とか存在が何かを伝えてしまうのです。私の言葉ではなく私という存在への反発が喚起されることもありますし、喋っていても実は言外のメッセージがやりとりされていることがあります。
「づら研」では、自分が何に苦しんでいるかを言葉にすることで、それが人に受け止められ、共感する―されるという体験が生じます。その体験のなかで、「苦しみ」の実態や中身が見えてくることがあります。不登校の自分だけが生きづらいのなら個人の責任かもしれないけれど、目の前のこの人も生きづらさをかかえているのなら、問題の背景には社会構造があるのではないか、という問いが生まれ、説得力を持ちます。
不登校経験者にとどまりません。過酷な就労状況におかれたり、人が信じられなくなってひきこもったり。社会からのこぼれ落ちは、不登校の有無にかかわらずおきてきます。
「生きづらさ」を越える共感の力
――「生きづらさ」という言葉は包括的ですが、わかりにくい。説明してください。
貴戸:「生きづらさ」という言葉がつかみづらいのは、さまざまな問題が折り重なっているからです。かつては、「女性」とか「不登校」という一つのキーワードでつながることができました。まとめて差別されていたから、集団的に抵抗できたのですね。
でも、現在は同じ女性や不登校でも、うまくやっている人もいれば、そうでない人もいる。多様化・自由化のなかで個々の裁量が増した結果、ちょっとした苦しさを複層的に抱えている人がいる。経済的な問題、自然災害の被災、慢性的な病、家族関係の困難など、苦しいんだけど一つのキーワードで自分を表せない。「生きづらさ」という言葉は、個人の置かれた状態ではなく主観に焦点を当てることで、この苦しみを可視化します。それは、同じ苦しみを持つ人と出会うチャンスをくれる。
しばしば「甘え」と言われ、自己責任論に回収されがちです。でも人間は、(1)自分が今どういう状況にあるのか、(2)次にどうしていきたいのか、(3)そのために何が今必要なのか、を考えることができて、初めて一歩を踏み出せると思うのです。何が苦しいのかわからないし、どうすればハッピーになれるかもわからない。それは、「甘え」「自己責任」と言って済む問題ではありません。仲間を通じて自分を探求することが、第一歩です。生きづらさという言葉は、そのきっかけをくれます。
「つながらない」経験が「つながり」を生み出す
貴戸:学校に行ってない、ひきこもっているからだめだ、ということはありません。鍵になるのは、「人や社会とのつながりを失わない」ことです。
思い描いていた人生と違っても、「世間的」に評価が低い状態のように見えても、自分の存在が、他者や社会、自然など別の何かとの関係のなかで実感できれば、不幸ではありません。人とつながろうとすると、予想もしなかった世界が広がることも。
私は「世間は私に興味なかったんだ」と思い知らされて、拍子抜けして、自由になれました。「つながれない」という経験が、「つながり」を生み出すきっかけになる。不登校やひきこもりを、そうした「つながり」の契機にできます。