【バリアのない街】「おひとりさま」の老後生活を認めない社会的圧力

遙矢当(はやと)@Hayato_barrier

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 「これから独りになったとき、私の老後は大丈夫なのでしょうか?」

 仕事も家庭も順調な50代の既婚女性が、ふと呟くように尋ねてきた。最近、プライベートで介護の相談を受けると、よくこんな話が始まる。早い段階から介護の準備を始めることには賛成だ。しかし、現在の社会生活や人間関係の延長上に介護が始まると考える人は少ない。既婚者も単身者も、「老後は独りで過ごす可能性がある」という想定があるのだ。現在の日本の結婚生活に永劫性が無いことを匂わせている。

 上野千鶴子(東京大学名誉教授)が「おひとりさまの老後」(法研、2007年)で「独りで過ごす老後に不安がない」ことを強調してから、10年が過ぎた。これを契機に、婚姻生活を望まない人が堂々と老後を語れるようになった。

 しかし、問題が2つある。(1)現行社会保障制度の間隙を縫う単身者自身の努力と研究が求められること、(2)単身者家族が抱える老後の不安である。

 

儒教的発想扶養義務からの解放

 単身者が望む老後生活の貫徹は可能だが、それを認めない社会的圧力がある。

 「おひとりさま」を支える主制度の介護保険制度は、「戸籍制度」を前提に、「家庭内介護に依拠する介護」の継続を目指す。
 自宅での療養生活を目指す介護保険制度の改定も、制度創設原点の延長上にある。

 特に家族を縛り続ける「扶養義務」は、関係性からの解放を目指す「おひとりさま」の老後生活に対立する。儒教的な発想も包含する扶養義務は、現代にふさわしくない。

 誰もが「おひとりさま」になりうる社会を思えば、日本会議が強調する「道徳」や天皇制に紐付く戸籍制度の廃止が必要だ。

 

主体性を持ち生きる意識が問われる

 「おひとりさま」を目指す本人も、親の介護には無関係でいられない。
 社会保障(介護保険、障害者総合支援法)が、保健契約に基づくサービス提供となって30年近く経つ。しかし、制度創設時点では「おひとりさま」を想定していなかったため、「本人の意志」だけでの契約は困難だ。

 現行制度では、契約の時点で本人に加え「家族ないし近親者の身元引受」が求められる。家族介護を前提とするためだ。

 これが、「おひとりさま」が望むサービスを選びきれない状況を生む原因になっているのだ。民法の改正が求められるが、家族社会を重視する勢力が阻んでくるだろう。

 「おひとりさま」問題は、日本社会における家族を基礎としたファッショ体制が原因だ。

 私たちは、「個」を重んじ主体性を尊重する社会を目指し、画一化されかねない老後の打破につなげるべきだ。それは、誰もが自宅で看取られると同時に、誰もが特別養護老人ホームへの入居も選択できる社会を目指すことだ。

 「おひとりさま」として暮らし、死ぬことができる社会の実現のため、日常のさまざまな場面で画一化を脱し、主体性を持ち続けよう。

 これこそが、本当の意味での「おひとりさま」の準備のスタートだ。

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