コミュニティスペースオシテルヤ 中桐康介
読者へのごあいさつ
もう10年近く前、編集部でお世話になっていました。当時僕は、野宿労働者の仕事と暮らしの様子を通じ、この社会の実相をあぶりだそうと、記事をお届けしていました。07年2月に長居公園のテント村は強制排除にあいましたが、その後、長居公園に隣接する地域で野宿者や生活保護利用者など、社会のひとつの底辺をなす人々と一緒に活動をしています。
このたび機会を頂きまして、僕が日々出会っている人々との出来事を通じ、ひとつの地域社会の実情をお伝えしたいと思います。その中から、人民新聞が目指す「もうひとつの世界」に向けた、普遍的な手がかりを見いだすことができれば幸いです。
僕がいま活動拠点としているのは、「オシテルヤ」という民間のコミュニティスペースです。もともと障がい者のヘルパーをしていた友人が開設した施設で、障がい者がふらっと立ち寄れるような、真夏の暑い日に涼みに寄れる場所があればいいな、という発想でオープンしました。電動車いすでも上がり込めるように改装し、いつでも利用しやすいようカギもかけず開放していました。友人は音楽や演劇にも取り組んでいたので、アート関係の知り合いも多く、多様な人々が交わりあう希有な場所です。長居のテント村の強制排除以降、活動拠点を探していた僕も、スペースをお借りすることになったのでした。
オシテルヤは、野宿労働者とのつきあいを軸として、さまざまな人々が居場所とし、仕事をしながら人とつながりあう場所として、発展しようとしています。ヘルパー派遣の事業所と就労支援事業所を開設し、仕事づくり活動にも取り組んできました。夜回りなどの野宿者支援の活動もし、食事会を開いたり、生活相談窓口も開設しています。
大野さんとの出会い
僕らの活動の基礎になっているのが、今も昔も夜回り活動です。大野さんとは半年前、住之江公園のベンチで横になっておられたときに出会いました。ガラケーを開いてなにか眺めており、初めてお会いする方だったので、ちょっと遠目から遠慮がちに声をかけます。「こんばんは。おじゃまします」。夜回りカードとおにぎりを渡し、何かあったらオシテルヤに来てくださいとだけ伝えて立ち去りました。
翌日、大野さんはオシテルヤを訪ねて来られました。サロンに上がってもらって、話を聞きます。大野さんは、半年前まで三重県で生活保護を利用していたそうです。その際にケースワーカーからきつく就労指導を受けていやになり、再び生活保護を利用することには積極的ではなく、オシテルヤには「仕事がないかな」と思って来られたそうです。以前は自動車関係の工場のラインで期間工として長く働いていたが、競艇が「好きで好きでたまらなくて」、ボートレース場に通う日々。そこで出会った会社の社長に誘われ、一時は社長の工場で働いたものの、うまくいかなくなって辞めたそうです。
ちょうど仕事づくり活動での荷物運びの仕事が2日後に予定されていたので提案すると、「できれば行きたい」とのこと。その仕事はがんばって働いてくれて、無事に日当をお渡しすることができました。その後も食事をしながら、仕事があると一緒に働きに行くことを何度か続けました。その中でほかの労働者とも出会ってさまざまな意見も聞く中で、もういちど生活保護を利用しよう、という気持ちが固まっていきました。
アパート探しや生活保護申請の支援をし、無事に保護が支給されて今に至っています。ただ、前回と同じような過程を踏んで不安定な生活に戻ると、せっかくの出会いが失われてしまうので、オシテルヤで家計管理の支援と、就労に向けた支援に取り組んでいくことにしました。
このように、オシテルヤでは、出会った労働者との付き合いを続けていくために、サロンの運営や、仕事づくりや生活支援活動を活用しています。活動を通じて、僕らが目指す社会の方向性を見いだす場所になればいいなと思います。ここでの人々との出会いやトラブルや葛藤を紹介することで、みなさんの運動や社会構想に役立てばいいと考えています。