ぷりずむー1628号

泣いとる場合か!と言っておきたい

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 運動会の季節である。親として言いにくいことだが、学校行事が嫌いである。フィナーレの組体操で、自分が子どものころもこんなんやったっけ?と驚くほど、多数の人が感動して泣くのである。まるでついていけず、心に風が吹く。パブロフの犬のよだれのようなこの反射的感動はなんだ?▼著書「笑い」でベルクソンは、感動は笑いの大敵であると述べている。笑いが不謹慎で、差別的で、真剣さや他者に共感することと対称的に扱われ、しばしば社会的に禁止されることがあるのは、笑いが持つ反道徳性と、無感動、卑怯さのせいである。それでもなお人間が笑ってしまうのはなぜか。笑いという悪徳が人間に備わっているのはなぜなのか▼それは、自然が社会機能全体の向上という善のために小さな悪を利用しているのだ、とベルクソンは分析する。昨今の学校行事からマスメディアまでがこぞって演出する感動と、道徳教育から町中に張られた啓発ポスターまで、感動と道徳の同調圧力がやっつけようとしているものは、笑い―つまり良くも悪くも人間の知性の産物であり、取るに足りないものでありながらも物事の本質を凝縮してしまうもの―であろう▼なるほど社会機能全体の硬化という悪のために小さな善を利用しているということか。時の政権が感動を蔓延させるのは、国民の感性を反射的に働かせ、知性を黙らせるためかもしれない。笑っとる場合か!とはよく言うが、今回は泣いとる場合か!と言っておきたい。 (も)

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