日角八十治さんへの追悼

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重信房子

 日角八十治さんのご逝去を知り、これまでの感謝と共に追悼致します。
 人民新聞9月5日号で日角八十治さんが8月31日早朝に亡くなられたと知り、謹んでお悔やみ申し上げます。私自身は日角さんのことを直接存じ上げませんでしたが、72年に脇浜義明さんがベイルートのPFLP事務所を訪問されて以来、日角編集長の「新左翼」を送って頂き様々の交流の機会を得ることが出来ました。直接お礼を申し上げる機会を失したままですが、感謝と共にご冥福をお祈り申し上げます。
 上田等さんに言わせると「あいつは革命のためなら、『富士山を見てろ』と言ったら一生富士山を睨んでいるようなやっちゃ」と、日角さんの「階級的一徹さ」を誇り愛していました。また、ある時には、上田さんは、こんなことも言っていました。「日頃、いつも、どこにいくのか?とか、誰に会うのか?とか、絶対に聴いたりしないあいつが、知っとるんや。あいつが出発間際に来て『重信さんの父親が亡くなった。それは知らせてやってくれ』と。『わしゃ知らん』と言うたった、と笑って『あいつらしいんだ』と。上田さんとの会話を、今、日角さんの御逝去によってなつかしく思い返しています。
 上田さんたちは樺美智子さんを批判した日共に抗議のビラを撒き、査問除名された人々ですが「締めつけで政治的、経済的に苦しい時もあったが、闘いは健全になった」と語っていました。人民新聞は、そうした先達、逮捕投獄覚悟で50年代武装闘争時代を斗い、その過ちや限界を教訓に「人民と共に」と、闘い続けてきた人々の保累であることを、改めてかみしめています。
 友人、知人であった方々と共に日角八十治さんに連帯し共に葬送致します。

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