夏休み明けは子どもの自殺が突出して多い。2年前、内閣府からそのデータが公表され、大きな話題となった。今年も、「学校なんて死ぬまでして行くところではない」「逃げていい」という言葉が、あちこちから聞こえてきた。言われていることそのものに異論はない。でも、どうにも、それは上滑りしているように感じられてならなかった▼1986年、私が中1のとき、ひとつ年上の鹿川裕史くんが「このままじゃ生きジゴクになっちゃうよ」という遺書をのこして自殺した。当時も、マスコミは大騒ぎしていた。いじめ自殺が大きくクローズアップされた最初の事件だった。でも、そのとき私は、「なぜ騒ぐのだろう、自殺くらいするじゃないか」と思っていたように記憶している。そのころ「逃げていい」と聞いたとしても、まったく響かなかっただろうと思う。詳細は省くが、私自身、それなりに苦しい状況を生きていた▼そして、そうした経験が言葉になっていくのは、ずっと後になってからのことだった。不条理な目に遭ったとき、人がそれを言葉にできるには、相応の時間がいる。たぶん、当時の私が何より欲していたのは、そっとしておいてくれることだっただろうと思う。私の狭い経験からは、渦中の人に必要なのは、そういう場だったり、そういう時間なのではないかと思う。(K)