時評短評私の直言 福島から

「博士の異常な愛情」が描く 戦争と「復興」の狂気

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シネマブロス代表 宗形修一

 1964年制作のアメリカ・イギリス制作の長い題名の映画「博士の異常な愛情 または私は如何にして心配されるのを止めて水爆を愛するようになったか」(監督 スタンリー・キュブリック)について記す。
 この作品は1962年のキューバ危機に触発されてつくられたのかもしれないが、米ソ全面核戦争をブラックユーモアで描いたものだ。ただその戦争が水道水にフッソを入れるのも共産主義の陰謀だと信じる、基地司令官の狂信的反共主義から引き起こされる全面的核戦争映画である。
 この作品を何度も見ているが、今回ほど切実な思いで見たことはない。29日の北朝鮮ミサイル危機が政府の見事な演出でつくられたのだとしても、その思いは強かった。
 ラストシーンは、次々と爆発する水爆のシーンが映し出され、それにかぶさるようにスローバラードの美しいベェラ・リンの「また会いましょう」の曲がながれる。
 これは1943年のイギリスのミュージカル映画の主題歌で、イギリス兵はこの歌で送り出されて国への帰還を夢みたそうだ。「We’ll Meet Again」の 歌詞は以下のとおり。

 「また逢えるでしょう
 どこかは分からず 何時とは分からない
 けれど わたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう
 あなたは いつもしてきたように笑顔でいて
 青空が暗い雲を遠くへ運び去るまで
 だからわたしは あなたの知っている人たちに挨拶して
 もうすぐ逢えると伝えるの
 みんな知れば幸せになるわ あなたがわたしに逢って
 わたしがこの歌を歌っていたことを
 また逢えるでしょう
 どこかは分からず 何時とは分からない
 けれどもわたしたちは明るく晴れた日にまた逢えるでしょう」

 ベェラ・リンは、日本でいえば高峰三枝子みたいな存在だったのかもしれない。日本の兵隊は彼女のブロマイドを持ち出兵していったそうだ。そして、彼女のうたった「湖畔の宿」は、今も年配の人には歌われている。
 そして、出兵した若者たちは永遠に帰ることはなかった。「また会いましょう」には、その空しさがみごとに歌われている、そして、この映画はその戦争の狂気をうき彫りにしている。今、福島の現状をみると、戦争のあとの復興作業をしているように見える。
 第一原発収束には1万人以上の労働者を全国からかき集め、被ばくを強いる労働をさせたが、基本的には「使い捨て労働」だった。2012年ごろに給与月100万という告知をみたが、それこそ被ばくと引き換えの労働であることが想像できる。
 また、県内で行われた除染作業の手抜きの実態は、いわき自由労組が明らかにしているが(本紙1624号)、極論すれば、大手ゼネコンに環境省がいいようにされ、膨大な国民の税金が無駄に投じられたのが実情でなかろうか? こんなことなら、強制退去の住民に好きな地域で永住できる金額として1億円くらいを賠償として払ったほうがよかったのではないかと思えてくる(知り合いの弁護士がそういうことを語っていた)。
 そして、強制退去させた双葉郡の住民の帰還は10パーセント未満に過ぎない。
 地域コミュニティがこわれ、基礎的インフラ(スーパー・学校・病院等々)がない状態で住宅補助を打ち切り帰らせようとしているのだから、もともと無理があるのだ。
 そして、県内各地は延々と続く汚染土壌をつめたフレコンバッグの山だ(推定915万袋 2015年)。汚染された県土は100年たっても戻らないだろうから、今後はこの土壌汚染が非常に重要な問題になってくると思う。
 最後に、避難した人たちの精神的疲労が問題になりつつある。立ち切られた日常を取り戻したいといくらあがいても、取り戻せない日常に絶望する人たちがあとを絶たない。原発事故とは倫理の問題と大江氏は指摘したが、生活の根底を奪い去る原発は非倫理の最たるものである。私たちは全国の原発の廃炉を実現しなければならない。                        

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