(2)「30代での末期大腸がんは、原発事故のせいだ」

松平耕一さん(39)死去 葬儀、東電前で追悼・抗議集会

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今こそ被ばくと病気の関係を考え、東電の責任追及を

隠された被曝労働東電賠償書類の作業

 本紙1621号でインタビューを掲載した松平耕一さんが、8月8日朝に死去した。39歳の若さだった。末期大腸がんで都内に入院し、「原発放射能の影響だ」と主張し続けていた。私にはお父さんから当日電話が入り、友人知人にも伝わった。ネットでも哀悼の言葉があふれた。8月14日に通夜、15日に告別式が行われるため私も上京して参加した。17・18日は、友人知人の有志が東電前で追悼・抗議集会を行った。
 松平さんは『自分がもし病気になったら、原発事故と関連があると思ってほしい。被曝による健康被害を主張する人がいたら手伝ってあげてほしい』と語っていた。
 松平さんは生前、東京での(食品や空気中からの)内部被曝が影響した、と語っていたことを前回の記事で紹介した。彼は、東電の下請けで、福島の被害者が送るADR(原子力損害賠償紛争解決センター)の賠償書類をコピーし続ける労働を、2年間行ってもいた。本にホコリがたまりやすいように、紙には放射性物質が付きやすい。狭い室内で郵便物を開けてコピーし続けることで、粉塵のように舞い上がった放射性微粒子を吸い続けていた可能性も高い。
 この労働は原発労働同様に何重もの多重下請構造で、派遣会社が中間搾取で莫大な利益を得ている。働いていた私の友人によれば、友人は「東電→トッパン・フォームズ→ヒューマントラスト」という多重派遣労働だ(他に『アデコ』『キャリアリンク』『キャリアライズ』など)。松平さんは江東区にある有明セントラルタワーで働いており、同所と門前仲町に労働者が集中していた。3・11以降、数千人がこの仕事をしており、内部被曝した可能性のある人は莫大な人数になる。
 「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の渡辺悦司さんは、次のように語る。
「放射性微粒子は、肺に沈着すると思われているが、かなりの部分は痰として消化器官に入る。入った微粒子は、ナノサイズは消化管から体内に吸収されるが、大きいミクロンサイズは、消化管のどこかに付着すれば、そこで周囲の細胞に放射線を照射し続け、がんを発生させる可能性が考えられる。松平さんは、サージカルマスクなどをつけて防護していれば、結果は変わったかもしれない」。
 東電は、そうした対策をせず、危険な仕事を派遣労働者にやらせていた。
 しかも東電と派遣会社は、労働者に「仕事内容を外部に言うな」と口止めしていた。「仕事場所、緊急連絡先、事務の仕事をしているということだけしか話してはいけない」と文書で約束させられ、契約終了後は契約書も回収された。松平さんも、このように口止めされたことを最後まで気にしていた。
 賠償書類の個人情報を守秘する必要は理解できるが、仕事内容自体を秘密にする必要はない。多重下請けの実態が暴露されることを恐れ、将来に被曝労働の被害が発覚し、その責任を追及されることを恐れたためだろう。原発労働者と同じ状況だ。国と東電による棄民・差別・利権・責任逃れの構造である。

放射能被曝によるがんの誘発残された人々が意思を継ぐこと

 日本政府は「福島原発事故による放射能被害者はゼロ」と公言しており、福島のみならず首都圏の健康被害も認めようとしない。だが、広島の原爆やチェルノブイリ事故では、各種のがんが激増した。福島県では、通常100万人に1人しか出ない小児甲状腺がんが、190人に激増している。そもそも、病気は色々な要因の複合で起こる。東日本在住者は内部被曝しており、自然界にない核物質が体に入ると、大病は促進される。つまり誰もが病気要因の一つに被曝がある、と言える。
 松平さんの被曝とがんの関係について、渡辺悦司さんのコメントを紹介する。
 「多くの人は、松平さんのような場合でも、『周辺で多発しているかに見えるがんは、福島第一原発による放射能がもたらした被曝が原因とは断定できない』などという、残酷なコメントに直面されていると思います。しかし、現在のがん科学(腫瘍学)、がん生物学、がん分子生物学の最新の発展は、このような『不可知論』『分からない論』『確認できない論』に、大きな疑問を投げかけています。
 がんの発症原因は、偶然に、放射線により遺伝子変異が起こることではなく、何十個から何万個もの遺伝子変異の多段階での『蓄積』こそ、がんを生じる原因であることが、全遺伝子の解析によって明らかにされています。がんを発症させる要因も本来一つではなく、複合的なものです。
 農薬や大気汚染などの化学物質や、たばこなどの生活習慣の上に、福島原発事故による大量の放射能と外部・内部被曝も加わっているのです。
 確たることは言えませんが、松平さんの場合には、(1)本来、大腸がんでは40~60年かかる前がん病変の進展が、放射線被曝の影響によるゲノム変異の蓄積で急速に加速したか、(2)放射線により(おそらくは微粒子による内部被曝により)、決定的に重要ながん抑制遺伝子(遺伝子変異の修復や異常な細胞のアポトーシス[細胞死]を制御している)が、最初から変異させられたことによる『デノボがん』であったか、のいずれかだと思います。おそらく(2)の可能性が高いと思います。どちらの場合も、福島事故由来の放射線によって変異蓄積の『最後の引き金が引かれた』か、放射線により『新たながんが生じた』かのいずれかでしょう。
 残された我々が彼の遺志を引き継いで前進することが、彼の悲劇に報いる唯一の道だと確信いたします」。

涙の通夜と告別式

 松平さんのお通夜と告別式は、8月14・15日に『府中の森 市民聖苑』で行われた。晴天の続く関西と異なり、東京は涙雨に包まれていた。松平さんは人間関係が幅広い。10年ほど前に文芸雑誌『新文学』を創刊し、多くの若者に表現の場を提供していた。また、反戦デモ、反原発デモ、「在特会」へのカウンター行動にも参加。雑誌『情況』などでの執筆活動とともに「救援連絡センター」にも関わり、不当逮捕された人の救援活動にも参加していた。
 松平さんは「多くの人で見送ってほしい」という遺言を残していた。お通夜と告別式には、文芸関係、社会運動関係、弾圧の当事者などが顔をそろえた。私はご家族に友人挨拶を依頼され、号泣しながら挨拶した。「救援連絡センター」事務局員、「だめ連」のぺぺ長谷川さんなども、友人挨拶をした。3者とも「被曝の影響を告発し続けた松平さんの声は、とても貴重だ。その意思を引き継ぎ、広めます。見守っていて下さい」と話した。
 式は無宗教で、モーツァルトの『レクイエム 怒り』が流された。司会者は「さまざまな社会運動を頑張っていた松平さん」と紹介。入口には彼の編集・執筆した雑誌や写真が展示された。
 松平さんは最後の数週間は何も食べられなかったため、花に包まれた遺体のほほは痩せていた。父親は挨拶で、「長く苦しい闘病生活でした」と話した時に、号泣された。多くの友人も涙を流し、松平さんの思い出を夜遅くまで語り合った。
 翌15日の告別式は、遺体に最後の献花をした。私は最後の火葬まで残ったが、若いため骨が大きく、多く、骨壺に入りきらなかった。これはあってはならない死だと痛感した。核=原発=放射能は、その人が生きるはずだった未来を根こそぎ奪う。それが若者であるほど残酷だ。松平さんの親戚に、反原発金曜行動の参加者がいたので、被曝問題を話すと「彼の分まで生きてね」と言われた。私たちはそれに応える必要がある。

友人有志が東電前で追悼・抗議集会と質問状提出

 葬儀に参加した友人有志は、東電への追悼・抗議集会を企画した。被曝問題がタブー化しているため、松平さんの声は、反原発運動の中でも充分広がりきってはいない。意思を受け継いだ友人が「追悼の場を作り、東電に責任追及をしよう」と、声を掛けあった。松平さんのインタビュー記事に開催日時を載せ、葬儀や東京の反戦・反基地集会で渡し、声を掛けあった。
 17日は、19時半から約20名が東電正門前に集まった。参加者は、松平さんの最後のインタビュー音声を流し、抗議し始めた。「国は因果関係が証明できないと言うが、死去してからでは遅い。全ての被害者に避難の権利を保証する義務がある」と強調。松平さんへの手向けの花を持参した。しかし、監視に来た東電の警備員は花を受け取らないため、敷地内に置いた。あまりに不誠実な態度だ。
 続く18日は、葬儀に参加した友人が、「松平さんの死が被曝の影響かはわからないが、自分も食品を買う時など、とても不安だ。ただそういう不安が東京で話せなくなっている。国や東電が放射能汚染をきちんと調べようとしないからだ。東京には家族も友人もおり、簡単には避難できない。でも、安全な場所で子どもを育てたい。東電は補償すべきだ」と訴えた。そして、東電の前・現会長に宛てた『松平耕一さんの末期大腸がん死に対する抗議・質問書』を東電に手渡した。
 質問と要求は以下のとおり。
1:松平さんの末期大腸が んの責任は東電にもある と考える。どう考えるか 答えよ。
2:賠償書類の処理労働の 実態を全公開せよ。当時 の作業室内の放射線量を 明らかにせよ。職員への 危険周知や対策をなぜ行 わなかったか、なぜ業務 内容の過剰な口止めをし たかを明らかにせよ。
3:健康被害は激増してい る。要求した全ての被害 者に治療費を払え。被曝 を避ける最大の方法は避 難である。東電は全ての 避難者に引っ越し代を払 い、避難先での仕事と住 宅を用意せよ。
4:汚染水を太平洋に放出 することをやめよ。また、 原発からの放射能放出を 防ぐため、チェルノブイ リ同様の石棺化を行え。
 東電原子力センターは、9月1日までに文書で回答することを約束した。それを受け、月命日である9月8日(金)19時半から、友人有志が再び東電本店前で追悼と抗議の集会を開催する。多くの参加を求めたい。松平さんのように声を上げる住民が増え、国と東電に責任を取らせ、被曝の防護や避難で命を守っていくことを願う。  (編集部・園)

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