「西も楽しいよ、避難しようよ」と伝えたい *東京・高円寺から大阪へ(2014年):石川春花さん
一番辛かったのは、西の野菜が手に入らず、値段も高いこと。また一緒に反原発デモに行っていた仲間が、放射能・内部被ばくになると「気にしすぎだよ」と言い、意見が合わない。「あなた宗教みたい」とも言われ、心が折れた。雇い止めをされたので、失業保険をもらいながら大阪で仕事を探そうと思い、移ってきた。今ようやくやりがいのある仕事が見つかり、避難者とつながったので、関東の友人たちに「西も楽しいよ、避難しようよ」と伝えたい。
選択肢が広がり、食べる喜びを取り戻した *東京から神戸へ(14年):intellipunkさん・三浦陽子さん
intellipunkさん(写真):事故の直後に東京から関西へ逃げたが、一度戻って反原発デモをしていた。だが放射能の問題はデモをやってどうこうできることではないと思い、移住を考えた。福島事故は過去の棄民政策の繰り返しで、水俣のように被害が認められず、同じことになる。またチェルノブイリでのベラルーシ・ウクライナの被害を見れば、5年後も関東にいてはまずいと思い、取るものも取りあえずに避難した時に「これでは生活が続かない」と思ったので、神戸で2人でパン屋を始めた。移住はもちろん国・東電の責任だが、移住自体が別の世界、別の人生を作っていくと前向きにも捉えることを話し合いたい。
三浦さん:食べ物をおいしく食べられるのは幸せなこと。東京ではそれができないことが当たり前になっていた。関西に来て、選択肢が広がり、食べる喜びを取り戻した。自分でもみんなが安心して食べられるものを作りたい。
2人はそう話し、おいしい焼きたてパンを参加者に振る舞った。「自家製天然酵母パン・ Pirate Utopia」(Facebookページ:@pirateutopiabread)
東京は人間の生活環境としても悪化 *東京から大阪へ(17年):森宮純さん
故郷の東京は、人口集中や競争社会の激化で人間の生活環境としても悪化し続けていることもあり、大阪に仕事を見つけて離れてきた。身体が楽になっている。関東の放射能被ばくの影響も大きいこと、それを隠している社会には根本的な矛盾があることを、みなさんと学び直している。
東海原発事故を経験 理解されない避難者 茨城県ひたちなか市から大阪へ(11年):羽石敦さん
99年の東海原発臨界事故を経験した。だから3.11直後に危険だと思い、1週間後に東京行きの高速バスが再開されたので、飛び乗って大阪へ避難した。当時大阪は住宅に入りやすい体制が整っていた。今は無償の市営住宅に居るが、今年3月末に打ち切り通知が来たため、『大阪避難者の会』を作り、大阪市と協議している。自分は関東から・男性・単身避難者なので、当初全く理解を得られず、被害状況でランク付けをされているCランクだと感じていた。だからこの集まりは良かった。『原発賠償関西訴訟』の原告にもなり、前橋地裁では、『本人がどれだけ不安に思ったか』を基準に判決が出た。6月1日に大阪地裁で次回の裁判があるので、ご参加ください。
ストライキや集会ができるほどに回復 *千葉から名古屋へ(13年):山の手緑さん
関東では視力が低下し、声が小さくなり、文章も書けなかったが、名古屋に移住してから1年目、職場で『声が大きい』という理由で雇い止めをされ、大きなビルの中で1人でストライキができるくらい健康が回復した。16年には『名古屋共産主義研究会』(本紙3月15日号で詳報)という小さなグループを作って、文章を書いたり集会ができるようになった。
仲間の矢部史郎さんの連帯文章も代読した。「6年間の苦い経験を経て、私たちは強くなりました。闘うこと、いたわりあうこと、人間が生きようとする営みに最大の敬意を払うことを学びました。もう一度出会い直し、人間と人間がごまかしなく向き合う社会をつくっていきましょう」。
恐怖を抑圧して生きる東日本での生活 *埼玉から大阪へ(14年):永井伸和さん
自分は当初、放射能の恐怖を自覚した避難者ではあまりなかった。最初はみんな危機を感じたが、次第に自分の恐怖を自分で抑圧しなければ生活をやっていられなくなった。最大の加害者である国・東電の責任が追及されていないので、関東でも、自分の出身地の宮城県でも、「どうにもならないよね」と被ばくを受け入れさせられているからだ。関西に来てそれがよく見えた。まずは短期間でも一度移動してみることで、自分がどんな場所で生きているのかを再認識することが大事だと思う。それを避難・移住につなげていこう。
今年以降が命の答え合わせだ *新宿から故郷の大阪に(14年):まさおさん
東京で被ばくの危険性を訴えて測定もしてきた。だが、被ばく問題に詳しい三田茂医師が岡山に避難したことを見て、「医師が避難するならこれは相当な事態だ。自分自身が避難することが危険性を伝える最大の手段になる。その上で避難・移住や避難者訴訟の支援をしていこう」と思った。放射能も化学物質も、悪いものを体内に取り入れないことが最大の予防策。病気になってから治療するより、予防の原則が大事。チェルノブイリでは事故5年後から晩発性の被害が激増したので、本当に今年以降が命の答え合わせだ。だから避難が必要で、みなさんと協力し暖かく受け入れていきたい。
自分たちは実験台にされている *下見のため東京から来阪:星埜めぐみさん
30~50代の仲間に健康被害の増加を実感する。知らないうちにがんになり、会えなくなった人もいる。放射能の恐怖や病気を身近でも話せずに、うつ状態のようになっている。東日本の自分たちは実験台にされていると思う。先に関西に移住した友人が泊めてくれたので、大阪に下見に来て、いろんな所を歩いてとても元気になっている。希望が見えたので、東京に帰って伝えたい。自分は東京で障がい者介助の仕事をしているので、簡単には動けない人がたくさんいることもわかる。そういう人たちとも一緒に考えられる言葉で移住のことを話していきたい。