時評・短評 私の直言 アカデミック・ハラスメントをなくすために

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自治空間をサバイブする

 じゃこおろし
 今回この紙面をお借りして、ある問題提起をしたいと思う。それは、学問の世界における「自治」空間を確保する重要性と、同時に「自治空間」を確保することに伴う危険性についてである。前者の重要性とは、例えば日本国憲法で保障されていると解される「大学の自治」として知られるところである。具体的には、学内人事、施設管理そして研究内容に関する自治が、対公権力的に想定される。後者において筆者が念頭に置いているのは、学内の権力関係を基盤として生じる暴力、アカデミック・ハラスメント(以下、「アカハラ」という)である。アカハラという言葉は、社会的にも普及しているように思われるが、まだまだ世間には「例外的」な事柄であると思われているのではないだろうか。筆者も、実際に大学院に入学し、アカハラを目の当たりにするまでは、そう思っていた。しかしながら(残念ながら)、アカハラとは大学内の構造から、そしてアカハラの中でもアカデミック・セクハラは、社会の性差別構造から生じるものであり、どこででも生じ得るものである。
 紙幅の関係上具体的なアカハラの発生率や事件は詳述できないが、ここではアカハラの固有性として、学内の指導教官が院生らに対し有する強固な権力、そして研究職という特殊集団が持つ特性としての「ムラ」社会要素を指摘しておく。アカデミズムにおける研究職は、理系、文系に限らず専門的に細分化している。希望する専門領域を指導できる教員自体が非常に限られており、例え指導教官の膝元を離れたとしても、専門領域に存する研究者の全国的なネットワークの存在により、その専門分野を志す限り、ほぼ生涯にわたってその影響力から逃れられないことも多々ある。よって、院生(或いは学部生)は、その指導教員との物理的距離による拘束のみならず、両者の属する専門領域という「ムラ」社会において、逃れ難い心理的拘束を被ることになる。また、各研究室のタテ割り方式においては、他の研究室の研究内容や指導内容については口を出さない、という不文律が存在する。いわば、大学組織内における各研究室は、学問の自由=「自治」原則の下に閉鎖性を担保されているのである。
 公に対する私「自治」の概念は、戦前の全体主義体制に対する反省から、どちらかと言えば肯定的な意味で形成された。しかし、上述の部分社会における「自治」は諸刃の剣でもあり、その矛先が向かうのはアカデミズムに限らない。
 DVという言葉が普及する以前、家族という「共同体」は、その私的性質故に「自治」の原則に貫かれ、そこでの暴力は秘匿され、あるいはそもそも問題であるとも考えられていなかったのだ。もっとも、私への不当な公の介入は重大な問題であり、手放しにこれを肯定することも極めて危険である。にもかかわらず、「自治」の危険性という言葉で筆者がこれを表現するのは、人間の社会生活においては、もはや各構成員の良識に依存することはできないことを指摘したいがためである。
 アカハラに関して言えば、学内にハラスメント相談室を設置する大学も増えている。だがしかし、実際には被害者は加害者からの報復を恐れ相談に行けないということも多い。権力関係は、ハラスメントの発生する土壌である。そしてその権力関係とは、上司・部下といった明確なものや計量可能なもののみならず、立場の弱い者の主観に依拠するものでもある。従って、「自治」の名の下行使される権力の副作用を各構成員がしっかりと認識し、処方箋としての実効的な「救済制度」を担保することが肝要だ。

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