深見 史
2月11日東京新聞に掲載された上野千鶴子のインタビュー記事に対して、外国人支援団体である移住連が公開質問状を発し上野さんがそれに回答、さらに移住連が反論する、というちょっとした「事件」があった。
上野さんは「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか」と、移民難民が「社会的不公正と抑圧と治安悪化」を招くかのような発言を行い、「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています」と述べ、さらに「日本人は多文化共生に耐えられない」ので「人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい」「みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい」と結論した。
この雑なお話はどうでもいいのだが、ここで「移民難民の受け入れ」が議論の課題となり得るかのような流れになるのは困る。現実の日本社会は上野さんが思うほど「移民未然」の国ではない。
この国は、彼女の言うように「仮に『大量移民時代』を迎えるとしたら」という仮定の中にいない。「家事労働者を導入したら、『育メン』論争などふきとんで、機会費用の高い男女は、より稼いで家事をアウトソーシングする選択肢を選ぶでしょう」などとできすぎた冗談みたいな状態にもならない。「ケア労働者を導入したら、ケアワーカーの労働条件を改善しようという議論はふきとんで、現状の低賃金に同意して参入してくる外国人労働者への依存が高まる」こともない。
日本の「移民時代」は始まってすでに30年経ち、日系を中心とする「移民」はすでに3代目を迎える。外国人家事労働者を雇い入れなければ働けないような女性は、上野さんの周辺にしかいない。ケアワーカーは、外国人ゆえに低賃金に甘んじることはない。「依存」というなら、日本社会はすでに外国人労働者に依存しきってようやく回転していることは、誰にでも見えているはずだ。
上野さんの「みなさま方に『移民一千万人時代』の推進に賛成されるかどうか、お聞きしたいものです」に対しては、賛成するか反対するかではなく、現実の「移民時代」(?)にどう生きるのかという質問に変えるべきだ、という回答しかない。
いつも外国人労働者の諸問題を持ち込んでくる男性が、最近こういうことを言ってきた。「難民申請特活の連中に、せめて何か役に立つ技術を身につけて帰らせたいと思ってさあ、山一つ借りたんだよ。本国でも栽培されている野菜果物を、専門家の指導を受けながら作らせてみようかと。ただ金稼いで帰っても、たぶん何も解決しないし」。
彼はこれまでも、「タイの難民キャンプ生まれのベトナム人らしい無国籍青年」など、少々難問を抱えた人物の日常と行政手続きの面倒を見てきた。ここで言う「難民申請特活」とは「難民申請中である」ことを理由として許可される在留資格「特別活動」のことで、期間は6か月(更新申請によって更新される)、就労できる場合とできない場合がある。多くは、短期滞在や留学の在留資格からの「偽」難民申請である。彼は、彼らが「偽」難民であることは百も承知だ。そして、彼らの在留が不安定であり、いつ帰国することになるかわからないことも承知している。さらにまた、「偽」の彼らがどんな労働も厭わない真面目な就労者であることをよく知っている。彼ら若い者たちの、この国での一時的な滞在を「単なる金稼ぎ」で終わらせたくない、という思いが先述の発案につながった。
実は、彼のような人はよくいる。自分の身近にいる「移民」と自然と共に生きている人、日常の付き合いの延長に「移民」の今後をさりげなく支援している人、一緒に「困ったね」を繰り返している人がいる。上野さんが「移民は無理!」と言っている間に、偽難民だろうがなんだろうが、働いている人たちの暮らしを案じている人たちがいる。
上野さん、「移民」政策の推進に賛成か反対か、どうぞ勝手に議論してくださいな。私たちは、「すでにここにいる彼らと一緒にご飯を食べる」だけ。