『オリンピックファシズムと闘う~3・11の後、私たちはどこにいるのか』(下)

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12・11鵜飼 哲講演会

 

2020年オリンピックNO!は世界の声 返上は可能だ

「復興五輪」というレトリック

 東日本大震災直後の被災地支援のスローガンは「がんばろう東北」「がんばろう日本」などでした。それがいま、オリンピックのナショナル・チームを応援する「がんばれニッポン」へスライドしています。福島原発事故は持続しています。除染・事故収束作業に携わる労働者は日々被曝しながら働いています。いまだに十数万の人々が避難生活を余儀なくされています。常識的に考えて、オリンピックどころではない状況であることは明らかです。
 こうしたなか、「復興」と五輪の関係が再定義されようとしています。東京オリンピック組織委員会は、「日本の五輪は常に復興五輪だった」と言い始めています。幻となった1940年の五輪は、関東大震災に対して世界から受けた支援への感謝としての五輪となるはずだった。1964年の東京五輪は、戦後復興の象徴だった。そして2020年の五輪は、東日本大震災からの復興の記念として再定義されようとしているのです。
 五輪招致によって、被災地復興のための資材・資金・労働力の不足を招いています。現実の復興を阻害し不可能にしながら、あたかもすでに復興がなされたかのように「復興五輪」を語ることは、現実を仮象、イメージで置き換えることです。「復興していないけれども、復興したことにする。原発事故も克服されたどころではないけれども、克服されたことにする。日本国内にも世界にもそう思わせるために五輪をやる」。そういうことなのです。言い換えれば、災害便乗型資本主義に祝賀資本主義が合体することによって、2020年の東京五輪が準備されているのです。
 共謀罪をめぐる議論でも明らかなように、オリンピックによって大々的に基本的人権が踏みにじられつつあります。東京で生活圏が破壊されるのは野宿者の人々ばかりではありません。至るところ、工事の騒音が生活を圧迫しつつあります。オリンピックの本番では、テロ対策と称して、会場に入るときに「マイナンバーカード」の提示を義務づけることが画策されています。「アスリートファースト」と称して、選手養成に巨大資源を投入することが合理化されています。これは、防衛予算の飛躍的増大と並行して進められている政策です。
 また、特別の注意を喚起したい点が「少数民族」の問題です。東京五輪は、アイヌ民族と沖縄の「自己決定権」に深刻な影響を及ぼすかもしれません。64年大会のとき沖縄はいまだ米国の施政権下にありましたが、聖火はまず沖縄上陸しました。このことが復帰運動に弾みをつけたと言われています。今回もまた、現在の反基地闘争を切り崩すために、五輪が沖縄に持ち込まれ「国民統合」が図られる可能性があります。
 2010年のバンクーバー・オリンピック(カナダ)の際、会場に設定された地域には多くの先住民の居住地があり、部族間で対応が分かれました。反対した先住民コミニティーの長老が逮捕、拘留され、獄死するという事件がおこりました(ジュールズ・ボイコフ「反オリンピック」、前掲『反東京オリンピック宣言』)。  2008年の洞爺湖サミットの際、アイヌ民族のなかにはこの機会に世界にアイヌ民族の存在を知ってもらいたいという希望をもって参加した人たちがいました。東京五輪でも、先住民族の権利を訴える場として参加すべきと考える人たちはいるでしょう。このようにして、アイヌ民族のあいだに分断が持ち込まれることにもなりかねないのです。

非常事態・戒厳令下でのオリンピック

 次に学校教育への影響です。私は小学生だった前回の 東京五輪の経験を、かつて「1964年の少国民」という言葉で表しました。戦争が終わってほぼ20年経っていましたが、この大会には戦前や戦争の記憶が色濃く重なっていました。しかし、当時「参加する事に意義がある」(クーベルタン)という言葉が近代五輪提唱者の思想の全体から切り離されてあれだけ徹底的に喧伝されたのは、戦後の「教育基本法」が理念的縛りとしてあったからだと思います。ところが、安倍政権下で改訂された(2006年)現行の「教育基本法」の下で行われる2020年大会では、愛国心教育として国威発揚イデオロギーの徹底的な注入がなされ、ボランティア動員を通じて好戦的なナショナリズムが組織されていくでしょう。
 ロンドンでもリオでも、オリンピックは地対空ミサイル配備の下で開催されました。現在のオリンピックは端的に「非常事態」にほかなりません。まさに「非常事態」が招致されたのです。2020年にオリンピックが東京で「非常事態」として、事実上の戒厳令下で行われることは、そのまま改憲の先取りという意味を持ちます。もしかすると、オリンピックを通じて、2020年までに明文改憲のロードマップが作られていくのかもしれません。
 天皇の生前退位問題が浮上しているのも、オリンピックの前やさなかに天皇が死んだら大変だという発想があるのでしょう。64年大会の開会式は、昭和天皇裕仁が戦後初めて国際的な舞台に復帰する場でもあったのです。会場となった国立競技場は、代々木閲兵場の跡地に造られました。1943年に学徒動員の儀式が行われたその同じ場所で、昭和天皇は東京オリンピックの開会を宣言したのです。
 今回の東京五輪も、新天皇のお披露目の場として使われようとしています。19年ラグビーワールドカップ、20年オリンピックというスケジュールが組み立てられているなか、東京オリンピックに反対できなければ改憲にも反対できないような状況が形成されつつあるのです。
 東京でオリンピックに反対する運動は、これから本格的に始まります。五輪理念の中心には近代の資本主義、植民地主義、帝国主義、優性思想、レイシズムとつながる思想があり、五輪とは自ら招致する「非常事態」なのです。これが問題の核心です。
 「もうオリンピックは止めるべきだ」という声は、世界中で大きくなりつつあります。バンクーバー、ロンドン、リオと、反対運動は受け継がれてきています。私たちの時代の国際主義は、利権まみれの「聖火」を拒否する思想なしには成立しません。大学も動員圧力にさらされるでしょう。ボランティアを拒否する取り組みはきわめて重要です。欺瞞的な「レガシー」の名のもとに、膨大な負債が後続世代に負わされることも忘れてはなりません。オリンピックは社会問題のデパートと言っていいほど、実に問題だらけなのです。
 まもなく「『2020年オリンピック災害』おことわり連絡会」が結成されます。オリンピックを返上することは可能です。日本社会に大きな不協和音を作り出すことで、私たちはオリンピックを廃止に追い込む世界的な闘いの連鎖に加わることができるのです。

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