イスラエルに暮らして ジャバル・ムカッバルでの家屋破壊

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イスラエル在住 ガリコ美恵子

 パレスチナ人の家屋を破壊し、土地を没収してそこにユダヤ人専用地(入植地)を建設するイスラエルに対し、昨年末、「入植地建設は違法行為であり禁止する」との国連決議が採択された。しかしナタニヤフ首相は、「決議は不当」として、国連加盟国分担金の支払い拒否を宣言。多くのイスラエル国民もそれにならい、国連決議に憤慨していた矢先の1月8日、東エルサレム・ジャバル・ムカッバル村住民のファディ・アル・クンバル(28)が、運転していたトラックで兵士集団に突っ込み、4名の兵士が死亡、20名の兵士が怪我を負うという事件を起こした。
 軍はその場でファディを射殺したうえで、連日数千人の兵士を村に侵入させ、クンバルの親戚・友人・隣人を含む40軒の民家を立ち入り禁止にし、即日、家屋破壊命令を宣言。村の出入り口で厳重な検問を行い、ブルドーザーで3件の家を破壊したのみならず、彼の両親と妻からイスラエル居住権を剥奪した。さらに、親戚が葬式(アザ)のためのテントを建てたが、軍はこれも破壊した。3日間はアザをするイスラムのしきたりがあるので、親族たちは再度、再々度とテントを建てたが、軍はことごとく破壊した。
 ジャバル・ムカッバルは、東エルサレム南東部に位置し、2万人が暮らす村だ。同村には入植地が隣接し、巨大な国境警察署がある。1600軒の民家が、エルサレム市役所の決定で家屋破壊命令を受けている。1967年の第三次中東戦争でイスラエルに併合された東エルサレムに住むパレスチナ人は、イスラエル居住権のみを有し、市民権を有しない。居住権のみを持つパレスチナ人の追放は、市民権を持つ人の追放よりも手続き上、簡単である。
 しかし、民族浄化が行われているのは、東エルサレムだけではない。

国家権力の嘘ばれる─ウム・エル・ヒランにて

 1月17日夜半、ナタニヤフ政権は、イスラエル南部ネゲブ砂漠のウム・エル・ヒラン・ベドウィン集落に対する即日破壊命令をだした。イスラエル国籍のパレスチナ人国会議員=アイマン・オデ氏(イスラエルで3番目に大きな政党ジョイント・リストの党首)や平和活動家が、現場に駆けつけた。ウム・エル・ヒラン集落は、千人のキラン一族ベドウィン遊牧民が住む集落である。イスラエル政府がその存在自体を認めないため、電気・水道は通っていない(イスラエルには計46のベドウィン集落があるが、政府は認めようとしない)。
 イスラエル建国以前、キラン一族は近くのヒルベット・ズバリに住み遊牧と農業を営んでいたが、1956年、イスラエル政府により一族はウム・エル・ヒランに強制移動されられ、ヒルベット・ズバリは、キブツ・ショバルに併合された。さらに2015年、キラン一族に与えた土地を政府が奪い返すことができる、という最高裁判決が発表された。政府は、ウム・エル・ヒランのベドウィン集落を破壊した後、ユダヤ宗教派の住宅地を建設する予定だ。現在、ヤティール入植地住民は、ウム・エル・ヒランの新入植地住宅に入居するのを心待ちにしているという。ヤティール入植地ではワインが作られており、つい最近日本で「イスラエル・ワイン」として試飲会が行われたと聞く。もう日本で出回っているかもしれない。

朝5時に集落に侵入し、催涙弾・ゴム弾を発砲したイスラエル軍

 イスラエル平和活動団体のネット新聞「+972」(1月19日版)によると、地元民のヤクーブ・ムサ・アル・キランは、遠方からやってきた人々に会おうとして集落内で車を運転していたが、軍警察が連続射撃。ヤクーブはハンドルを持つ能力を失い、車は下り坂を暴走し警察官エレズ・レヴィ(34)に激突。エレズは死亡し、怪我をしていたヤクーブは射殺された。
 ベドウィン集落破壊を止めるために警察と交渉しようとした国会議員アイマン・オデは、顔面と背中に射撃を受けた。軍警察は、「アイマンは地元民の投石により怪我をした。地元民のヤクーブは兵士をひき殺そうとした。彼はISと関係があるようだ」と発表したが、イスラエル人アナーキスト団体が丘の上から撮影していた動画により、完全な嘘であることが判明した。この動画は、イスラエル全土で繰り返し報道されたが、投石はまったく行われておらず、軍は四方八方からヤクーブの車に向けて連続射撃を行っていた。さらに、アイマンが倒れた場にはスポンジで包まれた実弾が何百個も散らばっており、「ヤクーブがISと関係があるというのも、まったくのデマだ」と、地元民や知人が語っている。それでも警察はこの集落を封鎖し、ジャーナリスト立ち入り禁止とした。
 テル・アヴィヴ在住のアナーキスト活動家コビー・スニッツは、17日夜、軍警察到着前からそこにいた。コビーと私は、ビリン村、ベイト・ウンマなど分離壁反対デモでも顔見知りだ。数年前、東京のイレギュラー・リズム・アサイラムでイスラエルの平和活動について報告してもらったこともある。
 コビーは次のように証言した。「政府は、火曜日の夜中までにベドウィンたちが自主的にこの土地を去るよう求めた。しかし、ベドウィンらはこれを拒否。国会議員のアイマンは、ベドウィンの側に立ち、警察と交渉するために、水曜早朝、現場に駆けつけた。アイマンが病院に運ばれて数時間後、集落は、政府のブルドーザーにより破壊された」。

アラ村でのデモ

 南部ベドウィン集落破壊で2名の死者が出た翌日の19日、政府はイスラエル北部のパレスチナ人村アラにも7件の家屋破壊命令を出した。これに対し住民は、連帯抗議行動を呼びかけ、21日(土)午後3時、デモが行われた。イスラエルでは、安息日にバス・電車などの公共交通機関が止まる。テル・アヴィヴ北部からは現地までの送迎バスが出たが、エルサレムからは出なかった。エルサレム在住の活動家夫婦が自家用車を出すというので、便乗させてもらった。アラ村は、イスラエル北部ハイファ県に属するワディ・アラにある人口約6千人の村だ。
 デモ開始前、すでにアラ村は自家用車で満杯だった。パレスチナの旗を持つ人、「家屋破壊反対!」とアラビア語で書かれたプラカードを持つ人、「民族差別するな!」とヘブライ語で書かれたプラカードを持つ人などで、公民会館前の通りは溢れていた。しかも参加者はどんどん増える。南部ベドウィン集落で活動していたコビー・スニッツも来て、「やあ、久しぶり!」と挨拶した。彼の疲労困憊した顔を写真に撮ったので、見てほしい。
 目の前にいたヒジャブを着た老婆は、現場に着くなり、人の多さに感激し泣き出した。地元民が交代でマイクを持ち、「パレスチナ人コミュニティの家屋破壊反対!」と、シュプレヒコールを大声で叫び、行進が始まった。デモ行進の間を練り歩いていると、額に大きな絆創膏を張った人物が現れた。数日前にベドウィン集落でイスラエル軍警察に撃たれて怪我をした国会議員だった。行進の速度が速いので、話を聞くことはできなかったが、「写真を撮っていいか?」と聞くと、「OK」の返事がきた。
 デモ行進は、公民館前から出発し1時間ほどかけて村端にある広場に辿り着いた。広場では舞台演説が行われた。この日のデモには7千人が参加した。イスラエル軍警察がやってきて、催涙弾、スポンジで包まれた実弾を発砲し、2台のスカンクカーが汚水を強烈な勢いで噴射した。私は怖くなって、逃げることにした。数百メートル離れた場所でも吐きたくなる汚臭と催涙弾の炸裂音。目がピリピリした。こんな弾圧にも挫けないパレスチナ人の忍耐強さに、遠くから頭を下げた。

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