イスラエルに暮らして 

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新年の祈り―和平は必ず来るユダヤ新年祭での対話から

 

イスラエル在住 ガリコ・美恵子

 「占領も入植地建設も続けるべき。和平が成立しないのはアラブが悪い」という意見の持ち主が国民の半数以上を占めるイスラエル。
 私の亡夫の両親は、60年前にカサブランカから幼い長男と長女を連れ、イスラエルに移民した後に5人子どもを作った。孫、曾孫を入れると親戚総数四十名を超えるが、一同、右派である。彼等は私が左派であることに気付いているが、政治の話は喧嘩になるので、なるだけしない。しかし、このごろ甥や姪達の間で「美恵子に教育をしなおさねばならない」という意見が出始めた。

「美恵子に教育をしなおす」

 10月2日はユダヤ新年祭だった。夜から始まり、2日間仕事も休み。義姉ルートの家で過ごすことにした私と娘は、マアレ・アドゥミム入植地にでかけた。人口約4万人の巨大入植地だが、まだ増築が続いている。ルートには子どもが4人いる。上の2人は既に兵役を終了し社会人だ。兵役中ゴラン部隊に所属していた長男は、今は東エルサレム(被占領地パレスチナ)で、駐車違反や公共路に商品を並べる店などに違反チケットを切る市役所の職員なので、旧市街の周辺でよく出くわす。次男は兵役中、軍警察にいた。
 ワイン2本と花束を抱えた私たちが到着すると、ちょうどルートが新年に欠かせない蜂蜜ケーキを焼き上げたところだった。そこに4人の子どもを抱える義弟シュロミ一家と姑も加わった。ベランダで甥や姪たちとピンポンをしたり、ブランコをこいだりして、夜になるのを待った。階下の隣人宅にはプールがある。ここで昔から暮らしてきた遊牧民は僻地に追いやられ、パレスチナ人は水源を奪われ、水不足で困っているのに、なんと不公平なんだろう、と思いながら写真を撮った。
 夕方になると、台所に祈り
とともに蝋燭の火が点される。祭日中、タバコは吸っても構わないが、ライターを使わず、その蝋燭からのみ火を点けることが許される。電気製品は使用禁止となるので、私がカメラを使うのは人目がない場所のみだ。日が暮れると祭日が始まり、男子はシナゴークに礼拝に出かける。女性は各自旧約聖書を小声で読む。男子が礼拝から戻ると、ユダ砂漠を眺めるベランダで、新年の儀式が始まった。
 新年の儀式は、一家の主アロン(ルートの夫)が、旧約聖書の新年の部分を朗読し、礼拝用の葡萄酒を皆に回すことで始まる。私はユダヤ人でないので、その酒杯に手を触れることが許されない。プラスチックのコップにいれてもらう。それから各自が台所に行き、手を清め、再度着席する。祈りながらアロンがちぎったパンに塩をつけ、皆に回す。セロリなど苦い野菜は、悪いことが起こりませんようにという祈りとともに食べる。りんごに蜂蜜をつけ、良い年になりますようにと祈る。
 私は祈りの言葉を暗記していないので、「アーメン」と皆が最後に言うときだけ口を合わせる。儀式が延々と続いた後、ようやく食事にありついた。年明けには、魚の頭か羊の頭を食べるのが慣わしだ。ルートの家では、羊の頭を煮たものが出された。多種のサラダ、姑手作りのクスクス、ルートが長時間かけて煮た牛肉。どれもおいしくて、延々と食べていたいほど。しかし、あまりに長く空腹を辛抱していたので、すぐに満腹になり、腹の皮がパンパンに張ってしまった。

体制は非人道的なことをするが良心を持って行動する市民がいる

 翌朝、エルサレム市役所に勤める義弟シュロミが、ベランダの一画で一服していた私に聞いた。「まだモルデハイ・ヴァヌヌと仲良くしてる?本当にイスラエルは核兵器を持ってる? なぜヴァヌヌは国家を裏切ったの?」
 「核兵器はある、しかも、ヴァヌヌが暴露した当時より数は確実に増えてるよ。ヴァヌヌは、外国のメディアを通してイスラエルに核兵器の開発を止めさせるようにプレッシャーを与えてほしいと思って暴露した。核は危険だから。日本でも福島の核工場が津波でやられて、自然が汚染され、人々の健康に異常が発生してることで問題になっている。」
 シュロミは、真剣な面持ちでつぶやいた。「そうだったのか。ヴァヌヌは僕たちみんなのためにも闘ったんだね」。
 今まで頑なに右派意見を貫き通すだけだった義弟が、こんな会話を私と持ったことは、大きな歩み寄りだ。
 昼食前、同じ通りに住む、アロンの妹を訪ねた。そこにはアロンの母がいる。イスラエルでは、持ち家がない老人は政府の老人ホームに入ることができるが、アラブ諸国出身者は、老いた両親を老人ホームに入れず、引き取るのが普通だ。アロンの父母は、1951年に長男を連れてイスラエルに移民した。母はバグダッド生まれの93歳。25年前に私がイスラエルに移住した頃、彼女はよくイラク料理をご馳走してくれた。最近腕に力が入らず、歩行器の操作を誤って地面に倒れ、腕を打撲したと聞いたので、お見舞いを兼ね、新年の挨拶にでかけた。
 挨拶を交わし、ゆったりと腰掛けていると、家族同士でアラブ人をののしる言葉が行き交うのに気付いた。アロンの妹も母も礼儀正しい淑女であるが、いざアラブのこととなると憎しみをこめた言葉使いに急変する。アロンの母に膝を付き合わせ、私は聞いた。「なぜあなた方はそれほどまでにアラブ人を嫌うのですか?」
 すると彼女は、にっこり笑って、話し始めた。
 「アラブが私たちを嫌うから、私たちは彼等を嫌うのです。1941年に、ユダヤ人虐殺事件がバクダッドで起こりました。ファルフード事件という名で知られています。あの時、イラク警察が、ユダヤ人を殺そうと、長い棒の先にタールを塗った武器を持って、ユダヤ人の家に次々と押し入ったのです。私は2人の幼い娘を亡くしました。私の命が助かったのは、近所のアラブ人がかくまってくれたからです。『君は既に娘を2人亡くした。そんな君をただ見ていることはできない』─そう言って、天井の一部を押し上げ、屋根にあがり、その人の家に連れて行ってくれました。その10年後、私たちは長男を連れてイスラエルに移民したのです」。
 

「ファルフード事件」

 翌日、家に帰ってグーグルで調べた。ファルフード事件とは、1941年6月1日、ユダヤ教の祭日シャヴオート前夜にバグダードで起こった、ユダヤ人虐殺事件である。死者数は約150名、負傷者数は数百名とも数千名とも言われている。ヒットラーは、ファシズムを貫き、ヨーロッパのユダヤ人を虐待した。イラクでユダヤ人虐殺を指揮したイラクのリーダーたちは、その波に便乗したとも言える。
 アロンの母の隣人は、反ユダヤ体制に従うことを選ぶかわりに、彼女らを救うことを選んだ。それは、「良心」あるいは「人情」という言葉で理解できないだろうか。体制は良心・人情を捨てて人道に外れたことをするが、一般市民には良心をもって行動した人がいたのだから、ファルフード事件を体験した彼女が、体制は必ずしも市民の心情と同一ではないということを認識すれば、〝アラブはユダヤを憎んでいる 〟という考えを覆すことができるのではないだろうか。

良心があれば占領は終わる

 昼食後のデザートを食べていた時、ルートの長男が私に質問を始めた。そのうちみんな集まってきた。左派であることを長々とみんなから叩かれたが、その中で嬉しい変化が待っていた。ここではかいつまんでお伝えする。
長男「美恵子によくアラブ側で俺の職務中に会うよな。なぜ親アラブなの? 奴らはユダヤ人にナイフで襲い掛かるんだぜ」
「私は暴力に反対よ。過激派を支持してるのではないことをわかってほしいわ。私は占領に反対だし、分離壁にも入植地にも反対してる」
アロン「金曜日のデモに行くんだろう?」
「行くよ、入植反対デモ」
長男「ここだって入植地だよ。入植に反対するならなんでうちに来るんだ?」
「親戚だから。切り離して考えないとやっていけない」
ルート「美恵子は、ユダヤ人のことをもっと勉強しないといけないわ」
長男「アラブ人がユダヤ人を襲うのはよくあるけど、ユダヤ人がアラブ人を襲うことなんてないだろう。パレスチナは昔トルコだったんだ。パレスチナ人はトルコ人だよ。歴史を勉強してくれよ」これにはぶったまげた。私が左派活動することをクールだ(かっこいい)と思っている、義兄ダビッドの次男(パレスチナ人を収容するオフェル刑務所で兵役中)が、おろおろしながら私の隣に立っていた。
「そんな歴史は聞いたことがないね。ユダヤ人がアラブ人を襲うことだってたくさんあるよ」
 ルートの次男が長男に向かって言った。「ユーチューブに、ユダヤ人の悪事の動画は幾らでもあるよ」
「でも、どっちがたくさん暴力を使うとかそういう問題ではなく、人道に外れたことをイスラエルの体制が行っている、ということを指摘したい」
アロン「そのうち左派活動で逮捕されても、俺は留置所に差入れしないぞ」
シュロミ「僕は差入れもっていくよ」
 驚き、嬉しかった。義弟は、私との数分の会話で、思想が少し変わったようだ。左派であることを親戚中から白い目で見られている私をかばおうとした。それは、良心というものではないだろうか。良心があれば、占領は必ず終結する。和平は遠からずやってくる、と信じたい気持ちで新年を迎えた。

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