イスラエルに暮らして テレビ『なぜそこに日本人?』に出演して(続編)

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強者(イスラエル)におもねる報道姿勢 「紛争」ではなく「占領」こそが事実

 

イスラエル在住 ガリコ・美恵子

 自分が出演した番組がユーチューブにアップされたので観た。誤解を多く招く報道だったので、指摘したい。
 最初にイスラエルという国がどんなところか紹介されている。麻薬犯がたくさんいるという解説に、腹ばいで後手に逮捕される男性の次に、壁に両手を着けイスラエル兵に身体検査を受けるパレスチナ人の後姿が映し出される。逮捕された男性がなにをしたのか知らない。しかしパレスチナ人は、歩いているだけで職務質問や身体検査を受ける。麻薬とは関係ない。
 空爆避難訓練は二カ月に一度ある。各学校で避難用滑り台が設置され、サイレンが鳴ると滑り降りてシェルターに潜りこむ。シェルターは、建物を新築する際の設計図に含まれていなければ建築許可が下りない(1950年発布)が、イラクからロケット弾が飛んできていた湾岸戦争時(1990年~91年)、細菌爆弾使用が懸念されたため、細菌遮断可能の約30㎝幅の壁で囲まれたシェルターという規定が加えられた。一番最近エルサレムに空爆警報が鳴り響いたのは2014年夏だが、2011年4月以降導入された対空ロケットシステム(アイロン・ドーム)により、サイレンが鳴っても人はそれほど慌てなくなった。番組では「紛争」と解説付けられて、イ軍がパレスチナ町村を銃撃する場面と、石を投げて軍を追い返そうとするパレスチナの若者たち、そしてイ軍に空爆されて人々が逃げ惑うガザ地区の様子が写しだされる。イスラエル軍の情け容赦ないパレスチナ人に対する武力行使と、パレスチナ人の抵抗、その背景にあるのは「占領」だ。言葉をかえれば植民地政策である。
 パレスチナ人の自爆攻撃についても触れられている。自爆は24年前に私が住んでいたアパートの下でもあった。自爆弾の破壊力は、周囲約10数mだ。爆風で割れたガラスの破片で怪我をした人や、自爆したパレスチナ人のすぐ傍にいたがために亡くなってしまった人はいるが、ガザでイスラエルが起こすような惨事は、イスラエルでは起こらない。
 国際道路安全道路情報によると、2000年度の交通事故による年間イスラエル人死亡者数は546名。イスラエル人権保護団体ベツェレムによると、1987年12月9日の第一次インティファーダ勃発から2000年9月28日までの期間にイスラエル軍に殺害されたパレスチナ人の死者は1551名、イスラエル人の死者数は421名。2000年9月29日から2014年7月7日までのパレスチナ側の死者は6890名、イスラエル側の死者は1091名とされている。また、国連の発表によると、2014年夏のガザ攻撃で、パレスチナでは1500名の市民を含む2255五名が死亡し、1万1千名の怪我人がでた一方、イスラエル側では6名の市民を含む72名が死亡、556名の怪我人がでた。
 パレスチナ側の被害がイスラエル側よりも圧倒的に大であること以外に注目できるのは、2000年の1年間のイスラエル人交通事故死亡者数の方が、1987年から2000年までの13年間に「紛争」が原因で亡くなったイスラエル人死亡者数より多いことである。私はこれを取材班に伝えたが、報じられなかった。

莫大な占領費負担に喘ぐイスラエル庶民の生活

 私的面では、イスラエルで苦労する私に多大な援助をし続けてくれた、10年前他界した母は写真でさえ紹介されず、まるで私が父子家庭で育ったような錯覚を受ける構成になっている。母に対して失礼である。
 レバノン戦争を経験した亡夫が、湾岸戦争により精神的に落ち込んだから、イスラエルに移住したと番組では理由つけられているが、それだけではない。日本の(1)女性差別 (2)言いたいことがはっきり言えない社会 (3)外国人と結婚したことで気付いた、外国人に対する偏見と差別、が大きな理由だ。
 私は幼い娘の親権を別れた夫に譲った。これは、非ユダヤ人の私にイスラエルでの滞在許可がおりなかったからだ。ヴィザ延長申請期間中、毎月、時には毎週、指定時に面接審査に行ったが、却下され続けた。それでも皿洗いやレストランの給仕職で食べていた当時の私は、違法滞在者・違法労働者としていつ国外退去させられてもおかしくないという状況。滞在許可がなければ、娘が風邪をひいても医者に連れて行けない。予防注射もさせられない。だから親権を譲ることになった。宗教で人を差別するイスラエルの国政が浮き彫りになる。しかし、説明はカットされている。あくまでもイスラエルの悪い面は伝えない、という方針か。
 番組では私の倹約は子どもたちの将来のためとされ、話のツボになっているが、実際は物価と家賃(番組では2DKと表示がでたが、私のアパートは一部屋半と台所のみ。家賃は10万円)が国民の収入(日本の平均収入とほぼ同じ)に見合わない高さだからだ。消費税(18%)とビジネス税(26%)により、物価が高い。例えば散髪は7千円、タバコは一箱千円、外食してパスタを注文すれば2千円はゆうに超える。親戚一同が集まるバーベキュー大会に番組スタッフを招待したが、肉は各自買ってくることとなっていた。その肉を市場で5人分買ったら4万円だったことに、スタッフは泡を噴いていた。
 多額の税金の行方は軍事費だ。2015年11月5日付ハ・アーレツ新聞によると、今年度の軍事予算は、1兆5千億円である。これは国家予算の約3割。退役兵士に対する謝礼金、新移民への補助金と、入植地建設、分離壁建設、警備など占領にかかる費用は含まれていない。
 2011年12月1日付ハ・アーレツ新聞で発表された、経済学者のシール・へベルの計算による「占領にかかる費用」は、年間、国民一人当たり平均1175ドル(約15万円)である。国民が皆、生活に苦しんでいるのだ。
 番組で息子の実母が亡くなったのは彼が6歳の時とされているが、本当は10歳の時だ。彼女はタイで出産し、帰国して、別の男性と結婚し、3人の娘を産んだが、3女出産のとき、亡くなってしまった。それ以来、連れ子のエデンと3人の娘を育てたのは、エデンの義父だ。テレビでは、私が彼を引き取ったように解説されたが。

精一杯もてなしてくれたパレスチナの友人たちは登場せず

 私が作った飯は「パレスチナの伝統料理マクルーバもどきです」と説明したのが消されて、「イスラエル料理」として紹介されている。だが2千年間流浪の民だったユダヤ人には、これといってイスラエル料理と呼べるものがない。
 案内したのは、シェイク・ジャラの入植反対デモ、テル・アヴィヴ、シルワン村の友人宅、へブロンの友人宅、へブロンのシュワダ通り、「入植に反対する青年たち」団体事務所、ベツェレム人権保護団体へブロン支局長のイッサ・アムロとの対話、エリコのアクバル・ジャバル難民キャンプ、エリコのエル・オウジャのベドウィン・テント、ヨルダン渓谷南部、死海、E1地区、ラマーラ市内の活気溢れる市場と手焼きのパン屋、パレスチナのイースター・ブラスバンド行進、マアレ・アドゥミム入植地の公園で亡夫親戚合同バーベキュー大会、数々のチェックポイント、分離壁。
エリコの難民キャンプで、巨大な鍵のモニュメントをみたスタッフが聞いた。「エリコは鍵の町?」私はナクバ(パレスチナのホロコースト)のことを説明した。「故郷に戻りたいという思いで、鍵のモニュメントが各地に建てられています。かぎはパレスチナの象徴です」「ええ! そんな酷いことがあったとは知らなかった。勉強になった」取材班はそう反応した。
 シルワン村では「日本のテレビに映るからには最高に旨い料理を作るよ」と友人の母と妹と嫁たちが総出で、朝の7時半から、葡萄の葉で米とミンチ肉を巻いた料理(ダワリ)を用意してくれた。へブロンの友人は、伝統料理マクルーバを用意してくれた。クルーは旨い旨いとおかわりし、食後に出された新鮮な果物やミント・ティー、アラビック・コーヒーに感激しながら撮影した。料理というのはその土地の風物であり、文化の一つだ。バラエティ番組だから、おいしい料理は画面にだすだろうと予想していたが、起用されたのは、シルワン村の友人宅から撮ったエルサレム旧市街の全貌のみだ。精一杯もてなしてくれた友人たちに対し、申し訳ない。
 事実を伝えれば、強者(戦争法案を強行する政府やイスラエルと無人機共同開発を進めている軍需産業関係)からバッシングを受けるからか、視聴者を侮っているのか。

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