経済学者・元国連総会議長アドバイザー
ジョモ・K・スンダラム氏
またもや安倍首相のウソが明らかになった。首相は国会で「TPPによって日本では14兆円のGDP成長と80万人の雇用が生まれる」と演説した。しかし、タフツ大学のTPPレポート報告書によると経済成長は、10年で0.12%程度下がり、雇用は77万人失われるという。
同報告書をまとめたジョモ・K・スンダラム氏が来日。講演会が開催された(5月30日、主催・太平洋資料センター)。ジョモ氏は、国連総会議長のアドバイザーを務めた経済学者で、国際開発経済連合(IDEAs)の創設メンバーでもある。
ジョモ氏は、国会議員とのTPP懇談会(31日)で、内閣府の吉田竹志企画官に対し「どこの国のデータにもないが、日本は何を根拠にそのような数字を出せるのか」と鋭く迫る場面もあった。講演と懇談会の内容を紹介する。(文責・編集部)
TPP推進派の楽観的な予測の根拠となっているのは、ワシントンにあるピーターソン国際経済研究所の予測です。最新版が2016年初頭に発表され、世銀の最新報告書にも取り入れられました。内容は、アメリカの国民所得は2030年までに1310億ドル増え、輸出を91%押し上げる、というものです。
しかしこの予測は、完全雇用が前提とされており、賃金や所得分配率も変らないという想定から出発しています。過去の貿易自由化協定では、勤労者への分配率は減少しているので、実証的根拠がないのです。
さらに、対外直接投資が増えて経済成長を押し上げるとも予想しています。資本家の収入は再投資され、広範な成長をもたらすとしていますが、これも根拠がありません。同分析は、方法論に欠陥があり、成長と所得の伸びが誇張されているのです。
現実には、雇用が失われ、勤労者の収入は横ばいないし低下し、これが内需を押し下げ、成長を鈍化させるでしょう。米農務省の研究では、対外直接投資は伸びず、アメリカはゼロ成長、その他の国もごくわずかな成長、というのがせいぜいのところです。
コストを利益として提示したり、ありえない想定をしており、成長を裏付ける理論も実証的根拠もないという意味で、この試算は人を欺くプロパガンダと言えます。
極めてわずかな成長の伸び
ピーターソン研究所は、自由化・規制緩和・グローバリゼーションに賛成してきたシンクタンクですが、今回苦しいのは、同研究所ですら成長の伸びは大きくないことを認めざるを得なかったことです。彼らの試算ですら、lTPP12カ国のGDPを15年で1.1%押上げるのみです。年率に換算するとわずか0.06%。アメリカは0.5%で、自由化による経済成長は非常に小さいといえます。唯一大きいのがベトナムの13%ですが、同国はこれまで世界貿易から排除されてきた歴史的な事情があるので、例外です。
米国農務省経済調査局の試算によると、成長への寄与は、10年でわずか0.1%の押上げ効果しかないのです。ところが日本政府は、経済成長=2.6%で80万人の雇用が創出される、と発表しています。驚きの数字です。どのセクターが成長するのか? 根拠を示すべきです。雇用が80万人創出されるというのも、衝撃的です。関税撤廃で輸出が伸びるといいますが、輸入だって伸びるので、その分野では雇用が減少します。
そこで推進派が強調したのは、「貿易外の間接的な措置で成長を促す」という点です。見込まれている成長の伸びの実に84%が、非貿易措置によるものです。自由貿易を標榜するTPPですが、合意文書は貿易以外の部分が大半です。
根拠なき仮定による分析
私たちの研究が注目されたのは、貿易自由化によってもたらされる最も重要な影響を明らかにしたからです。貿易収支について変化がないばかりか、財政収支・雇用・所得配分についても、良い影響を全く与えないことを明らかにしました。
私たちの分析手法は、国連によるマクロ経済グローバル政策モデルですが、ピーターソン研究所の分析で根拠のない前提とされていた4つの仮定(1.貿易収支は改善するー対外直接投資が急激に伸び、貿易外措置で大きく成長を押し上げる、2.財政収支は変わらない、3.完全雇用が実現する、4.所得分配は変わらない)を除いて分析し直すと、全く違った結果が出ました。
私たちの試算では、多くの国で雇用が失われます。TPP加盟国全体で77万1千人、米国だけで44万8千人です。このため、勤労者の購買力が低下、内需を押し下げ、成長は鈍化。格差が拡大します。
さらに、GDPはアメリカで0.54%、日本が0.12%(2015ー2025年)下がります。
このため、ピーターソン研究所の予測は、信用されなくなっています。米大統領候補のほとんどがTPPに反対しているのも、これまで分析結果がことごとく予想を下回っていたからです。関税撤廃も経済成長にとっては意味がないことがわかってきました。
TPPは、WTOをはじめとする多国間の貿易自由化協定の根底を掘り崩し、食料安全保障が脅かされるにもかかわらず、経済成長はほとんど見込めないことが明確になりました。
外国投資家のためのTPP 知的所有権とISDS(投資家対国家の紛争解決)
それでもTPPが推進される理由は、少数の巨大企業に利益をもたらすからです。これに関し、注目すべき2点を指摘します。1.知的所有権と、2.ISDSです。1.は、独占的知的所有権を認めることにより、技術革新を進めるという理由で正当化されています。しかし、実際に知的所有権の利益を得るのは、少数の巨大製薬メーカーだけです。
ニュージーランド政府は、知財権の期限を現在の50年から70年に延長することで奪われる消費者の損失は、TPP全体で得られる利益よりも大きいと試算しています。医薬品の特許期間を延ばし、ジェネリック医薬品を排除することで、薬の値段が高騰し、先進医療を受けられない高齢者が大量にでます。高齢化社会である日本にとっても重要です。
次は、投資家対国家紛争解決条項(ISDS)です。政府が国民の健康や安全、環境を守る措置を採っても、企業利益を阻害したとして政府を訴えるのがISDSです。この条項は、紛争仲裁機関を決めており、仲裁者は3人(企業側、政府側、両者の同意)ですが、こうした知識を持ち判事/弁護人の務まる法律家は、世界に200人ほどしかいません。企業の代理人となった弁護士が、後に判事役になる場合も考えられ、利益相反も起きるでしょう。
インドのボパール化学工場事故(1984年)では、殺虫剤工場から毒ガスが流出し、2万5千人が死亡しました。ところが、管理者であるアメリカのユニオン・カーバイド社は、責任を問われませんでした。同条項では、企業は政府を訴えることはできますが、逆はないのです。
さらに、外国投資家を保護する規定が盛り込まれ、救済策は無制限です。提訴の理由も広範囲で、「将来の利益」をめぐる提訴も可能です。規制の合理性・公共性は無視され、企業利益に反するか否かが争点となり、住民の健康・安全・環境に関する規制が訴訟の対象とされます。
これは、国家主権、特に司法権の否定です。米と環大西洋貿易投資連携協定を交渉中の欧州では、「アメリカは欧州の裁判所を信用しないのか!」と、ISDSへの反発が強くなっています。
国が支払う賠償金も、年々巨額になっています。エクアドルのコレア大統領が国立公園内での石油採掘を禁じたために、アメリカの石油会社から訴えられ、20億ドルの賠償が命じられました。
ISDSは、規制を萎縮させる効果もあります。マレーシアでは、WHOに発がん性を認められた除草剤が、人気商品として販売されていますが、禁止するとメーカーの利益を阻害したとして政府がメーカーに訴えられる恐れがあるため、規制できないままです。
米系企業は外国政府を相手に連戦連勝だと言われています。提訴件数は爆発的な増加傾向にあり、賠償金もうなぎ登りです。巨大企業や大富豪が巨額の賠償金を手にしているのです。
TPPの主眼は、巨大な多国籍企業(アメリカ資本)に有利になるように規則を書き換え、それを押し付けることです。結局得をするのは巨大多国籍企業だけです。
楽観論を疑うのは当然
自由貿易推進派による楽観的試算は、外れっぱなしです。NAFTA(北米自由貿易協定)のときも、中国のWTO加盟のときも、米韓自由貿易協定のときも外れました。各種研究結果によって、TPPによる経済成長は極小であることが明確になりつつあります。一方で、多国籍企業に有利な規則変更による弊害は長期的に現われます。
ところが、国民の間に反対は根強いのに米連邦議会は年内に批准しそうな雲行きです。ニュージーランドでは活発な反TPPの市民運動が展開されていますし、多くの国々で大きな反対運動が展開されています。日本政府もこんな協定を批准してはなりません。