時評・短評 川内原発、すぐ止めろ

地震列島で原発なんてどうかしている

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編集委員 下村俊彦

 熊本地震のあとも、隣の鹿児島県で川内原発が稼働を続けている。ただちに停止すべきだ。言いたいことは以上だが、それだけで終わっては記事にならないので続けてみる。
 本紙でも熊本地震については取り上げてきているし、まだ余震が続いている。多くの方が亡くなられ、避難者はいまでも困難な生活を強いられている。そういうときに「ほら、やはり九州で原発なんてどうかしている」とか、「震源地が川内原発直下だったらどうするんだ」とか書く気分になれずにいた。けれども、原子力村界隈の「専門家」たちの発言にあきれ、政府の広報機関と化した大メディアの報道に怒らされているうちに、書けるところにはどこにでも「川内原発を止めろ」と書こうと思い直している。
 もう一つ理由があって、九州生まれの私は、この地震によって幼い頃に聞かされたある話を思い出すことになった。こんな話だ。
 ワンス・アポン・ア・タイム。じつはこれが「ア」ではなく、二度も三度も連続したというところが大事なのだが、さきにすすもう。
 あらためて昔々、豊後の国(いまの大分県)の別府湾にはぽっかり島が浮かんでいたのだという。海上交通の要衝だったようだ。そのころは対岸の佐多岬半島の付け根に伊方原発があったわけでもなく、人々はのどかに暮らしていた(に違いない)。関アジや関サバはまだブランドじゃなかったが、味は今と変わらなかっただろうし、別府湾だから城下かれいも食べ放題だったろう。そういえばたしか5月が旬だ。食べに行きたいものだ。
 話を戻そう。この島はあるとき忽然と姿を消したという。アトランティスみたいに。4月16日に大分でも震度6弱を記録したと聞いて、ふと古い記憶がよみがえったしだいだ。しかし、思い出せるのは、別府湾に島があったこと。その島は沈んだこと。それにまつわる悲話が語り継がれていて、幼い私はたいそう胸が痛んだこと…くらいであった。ウィキペディアであたりをつけると「伝承によれば、島にあった恵美須像の顔を不心得者が赤く塗った為、祟りで島が沈んだとされる」とある。こんな説教臭い話のどこに幼い胸を痛めたのか、まったく思い出せない。
 さらにググってみた。間違いない。島が沈んだのは1596年9月4日の慶長豊後地震(M6.9~7.8と推定)によってだ。島の名は瓜生島。島はもう一つあったとか、実は半島だったとか、実在しなかったとか、諸説あるらしい。まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、安土桃山時代に九州で大地震があったのだ。
 それだけではない。これは連動型地震だった。3日前の9月1日には慶長伊予地震(伊方原発の地元)が、翌日の9月5日には慶長伏見地震(秀吉の伏見城が倒壊)が発生している(ともにM7.0規模と推定)。いまなら中央構造線断層帯に沿ったものだろうと推測できるが、当時の人はそれこそ祟りだと思ったことだろう。もっとも地震に対してなすすべがないのは今も昔も変わらない。せめて、4月14日は「前震」で、すぐあとに「本震」がくると早い時点でアナウンスできていたら、16日に命を落とさずにすんだ人は少なくなかったろう。原発を動かすことが科学的に合理的だなんて言うのは、地震予知の精度をもっと上げてからにしてくれ。
 なにが「停止させる科学的根拠がない」だ。エラそうに。君たちの言う「科学的」は資本と国家の利害に従属することを、もうみんな知っている。近年の研究によると晩期マルクスは自然科学書から膨大な抜粋ノートをつくりながら、資本主義のもとでは人間と自然の持続的な物質代謝が攪乱されるということを具体的に把握しようとしていたという(『カール・マルクス』佐々木隆治)。この問題の極限が核だろう。自然も人間も破壊する技術をもて遊んで、何のために何をしようというのか。

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