故郷への「帰還」をめぐって揺れる葛尾村

福島報告 避難指示解除が進められる地域の人々の葛藤

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大阪・一ノ瀬輝博

 2~4月、連続して福島を訪問した。「コラボ玉造」の唐住日出男さん(介護ヘルパー)が毎月、大阪から車で三里塚の野菜を福島の仮設住宅などに届けているのに同乗させてもらったものだ。
 「3・11」から5年が経ち、福島原発事故による政府の避難指示も徐々に解除され始めている(4月現在、解除されたのは田村市都路町、川内村、楢葉町)。こうした中で、福島現地で聞いた声を少しでも紹介したいと思う。

葛尾のコメは、馬鹿にしたもんじゃないよ

 「こんな人生で終わりたくない。葛尾に戻って、のびのびやりたい」-こう語るのは、現在田村郡三春町の斉藤里内仮設住宅に避難する松本操さん。松本さんは、仮設住宅の自治会長を務めている。3・11から5年が過ぎ、長引く避難生活によるストレス、お役所仕事の復興事業、故郷への思い、今後への生活のことなど、さまざまな不安を抱える中、松本さんは葛尾村へ戻って農業を再開する決心を固め、準備を進めている。
 葛尾村は福島県双葉郡にある、面積84.37平方キロ、人口1531人(2010年)の「コメと畜産」の小さな村だ。阿武隈高地に位置し、北と東は浪江町、南側は田村市に接している。かつては養蚕や林業、葉たばこ栽培が栄んだった歴史もあるそうだ。
 松本さんは現在、葛尾での農業を再開するべく、準備を進めている最中だ。松本さんの自宅・田畑のある地域は、日中の滞在だけではなく、宿泊(帰還に向けた「準備宿泊」)も可能になっている。
 松本さんは昨年、モチ米の実証栽培を行った。有機栽培で収穫したコメを検査した結果は、セシウムが玄米で2.0Bq/kg、白米で1.0Bq/kg、洗米で「検出単位未満」だった(食品基準値は100Bq/kg)。唐住さんが、松本さんらが作ったコメを大阪の米穀店に見てもらったところ、「このコメは一等米で、食べてもおいしい。数値も低いのなら、取り扱いたい」というラブコール。今年は葛尾からの産直米として、本腰を入れて取り扱うことになっている。
 このことは、松本さんたちの大きな励みとなっている。「都会の人たちは、ブレンド米がほとんどだから、本当においしいコメを食べていない。このあたりは標高が高いから朝晩冷え込むけど、それがおいしいコメができる秘訣。葛尾のコメは馬鹿にしたもんじゃないよ」(松本さん)。
 一方で課題も山積みだ。除染のため田畑は約5センチの表土を剥ぎ取り、山を削った土砂に入れ替えるため、ゼロからの「土づくり」となる。入れ替えた土には石が多く含まれているため、取り除くのも一苦労だ。補償金をもらって離農した人も多いので、地域は様変わりする。最終処分地も決まらないままに積み上げられているフレコンバッグの山が、至るところに積み上げられている。フレコンバッグの耐用年数は3~5年なので、周囲への悪影響も心配される。「この山を見てたら、気が変になりそうだ」(松本さん)。
 住宅地や田畑の放射線量は下がっているが、山林は除染しないため、一時的に下がっても雨風で元に戻ることもある。「除染なんて意味がない。やるのなら、地域の人に還元できるように工夫すればいいのに」という人も多い。
 葛尾村HPによれば、2月1日現在、葛尾村民1473人のうち、県内避難者は1374人、県外(海外含む)避難者は99人。2012年に村が発表した高校生以上の村民へのアンケート調査によると、「村に帰還できる状況が整っても戻らない」と回答した人が3割いたという。
 「帰還する」「しない」は、個々人の判断であり、私のような外部の人間が軽々しく言えるはずもない。しかし、放射線量に「安全」のしきい値がない以上、いまの汚染状況を考えれば帰還は危険だ。しかも「帰還」は、原発再稼働や輸出を強引に進める国に飲み込まれてしまいそうで、実に悩ましい。ただ、いずれの判断をしても、国や自治体は、最大限に尊重、サポートしてほしい…と思うばかりだ。

帰りたくても帰れない

 「若い人は(葛尾に戻ってこないのは)しようがない」-松本さんをはじめ、帰還準備を進めている人たちは、異口同音にそう語る。それぞれの家族の間で、被ばくのこと、将来のこと、等々をめぐって、喧々諤々の議論があったのだろう。そんな光景がうかがえた気がした。「うちは4世代9人で住んでたんだよ…」、そんな松本さんの話を聞きながら、あらためて原発事故がもたらした「とてつもない破壊」を感じずにはいられなかった。
 帰村に向けた動きは、原発事故を過小評価し、「放射能は大丈夫、早く帰還を」と迫る国に諾々と従っているわけではない。
 村の大部分は福島原発から20~30km圏内で、村全域が「警戒区域」「計画的避難区域」に指定されている。2013年3月に、年間積算線量をもとに、(1)20mSv以下の地域は、帰還への環境整備を進める「避難指示解除準備区域」、(2)20mSv以上で、避難を継続する「居住制限区域」、(3)50mSvを超えており、5年経過後も20mSvを超えているおそれのある「帰還困難区域」、の3つに区分された。同じ葛尾村内でも、(3)の「帰還困難区域」の人たちは、帰りたくても帰れないのだ。

政府が強行する「帰還」方針に反発する住民

 実は葛尾村は、政府が避難指示を出す1カ月も前になる3月14日に議会が全村避難を決断し、バスをチャーターして避難した(そのことで、2013年に国際NGO「グリーンクロス」から、「環境にかかる危機対応という視点から顕著な功績があった」と、葛尾村長に対して「グリーンスター賞」が贈られている)。その後、三春町と交渉して、避難した葛尾村民ができるだけまとまって避難生活を遅れるようにと、同町内の敷地の提供を受けて、仮設住宅を建設した経緯がある。
 しかし、松本允秀村長は、国の「帰還」方針を積極に進めたいようだ。4月1日には、三春町に設置していた仮設庁舎を、葛尾に帰還させた。
 4月10日には、原子力災害現地対策本部長らが出席し、田村市で葛尾村民に向けた住民説明会が開かれた。そこで政府は、「村内の除染が一巡し、除染前に比べて放射線量が半減した」として、「帰還困難区域」を除く地域への避難指示を、「6月12日に解除したい」と発表した。村長は「異論はない」として受け入れる方針だ。説明会に出席した村民からは「除染は不十分」と反対する声が多く出された。村役場の職員が政府側の隣にいるのを見て、「村民を代表する立場なのに、国と同じ側に座ってどうすんだ」との声も上がったという。
 松本さんはこう説明する。「葛尾に戻る人が、自宅を新築したりリフォームしたりで実際に戻れるようになるまで、3年はかかる。インフラも未整備。そんな状態で『戻れる人から戻れ』というのはひどい話で、一番危険だ。周りに人もいないので、一度不安を感じたら、終わってしまう。特に若い人にとって魅力のある事業をやっていかないと、葛尾に人は集まらない。このまま帰っても、状況は厳しい」。

分断される被災者

 福島原発を中心とした「浜通り」では、帰還を目標にした除染作業が急ピッチで続いている。通行止だった道路が通行できるようになり、新しい道路も開通するなど、交通インフラがどんどん整備されてきている。
 JR常磐線は、3・11以降、現在まで竜田~原ノ町・相馬~浜吉田の区間が不通のままだ。安倍首相は3月に福島を訪れ、「常磐線を2020年東京五輪までに全線開通させる」意向を明らかにした。また、安倍首相は、いわき中央IC以北が暫定2車線となっている常磐道の4車線化を急ぐとも言っている。常磐線も常磐道も原発のすぐ近くを通っていることもあり、工事する労働者が被ばく労働を強いられることになる。
 除染労働もそうだが、こうした現場では多くの福島の人たちが働いている。福島の人たちが原発事故の後片付け的な仕事に就いていること、被ばく労働で日常生活以外にも被ばくを強いられている現実を、見過ごしてはならないだろう。
 「福島の人も避難者のことを、よく知らないんです。そのくせ、賠償金で買った新車を乗り回して毎晩豪遊しているとか、落ちていた銀行通帳を拾ってみたら何千万の残高があった避難者だったとか、妙にリアルなうわさ話が流れています。被災者が分断させられているんです」と話してくれたのは、福島市在住のNさん。「このまま帰還が順調に進んだとしても、福島県民は決してスッキリしません。政治家の責任があまりにもいい加減のままだから」(Nさん)。

福島だけの問題ではない

 故郷に戻って人のつながりの中で地域を再生させたいと願い、奮闘する葛尾の人たちと出会った。村再生には、放射能・原発だけではない、さまざまな問題がある。都市と地方、高齢化なども含んだ地域活性化の問題、農業問題も含めて、さまざまな問題が露わになっているのだ。それは福島だけの問題ではない。
 この5月中旬には、葛尾で田植えが行われる。みんなの期待が集まる。唐住さんたちの5月の福島行きも、田植えを手伝いに駆けつける予定だ。

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