福島原発告訴団関西支部 石田紀郎
福島第一原発が崩壊してからまもなく5年目を迎えます。5年もの歳月をかけて、被災者の救済は、崩壊原発の汚染源への対策は、この事態を引き起こした責任の所在の追及は、これからの福島のありようの見通しは、などなどを考え出すとどれも「なし」である。あるのは、「なにもないことにするための方針」だけである。
その最たるものが、「福島原発からの放射能はコントロールされている」と大ウソを云った安倍首相のオリンピック招致演説である。まったくコントロールされることなく、崩壊原発から垂れ流され、すでに放出された放射能で汚染された土や木や瓦礫が、全国にバラまかれ続けている。誰も責任を取らない国の構造が浮き彫りになっただけの5年間である。
せめて、津波対策や事故対策を怠った責任だけでも取ってくれと、被災者を先頭に全国から14716人が告訴人となり、勝俣元東電会長、武藤栄元東電副社長、武黒一郎元副社長らを告訴・告発した「福島原発告訴団」の訴えを検察は2度まで却下したが、これに対して東京第五検察審査会は二度にわたって「起訴相当」と議決し、勝俣ら3人は「強制起訴」となった。起訴が決まったときに告訴団団長の武藤類子さんが掲げた「市民の正義」という言葉は、誰も責任を取らない国にまっとうにものを考える人々がまだいるのだということの表現だった、と思った。
「強制起訴」の正当性
強制起訴すると判断した検察審査会の議決の重要なポイントとして、「(1)電力会社の役員には高い注意義務がある、(2)大津波と事故を具体的に予見できた、(3)対策を取れば事故を回避できた」の3点を弁護団は挙げている。
このようなことは、なにも東北大震災があったから言われ出したことではない。原発が崩壊すればどのような大惨事になるのかは、チェルノブイリ事故の前例も含めて、災害防止を考える者や災害防止に責任を持つ者なら気付いて行動しなければならないと、わかっていたはずである。要は、知っていながら対策を二の次三の次にしたのである。
この態度振る舞いにもっとも重大な責任があるのであり、強制起訴は当然のことである。誰も責任を取らない国から脱するためにも、この検察審査会の決定は「市民の正義」であり、この国の最後の踏ん張り処を確保してくれたと思う。
当告訴団には関西から1800人前後の方々が参加され、この4年間の告訴団の活動の一翼を担っていただいた。福島原発告訴団・関西のノボリを立てて、関西支部の方々が福島や東京、京都の集会などに数えきれないほど参加し、関西支部のニュースを16号まで独自で発行し、告訴告発の動きと参加された人々の思いを伝えて来た。ニュースの発行の度に参加者名簿の整理をし、住所変更などの作業をする中で、10名の方がこの間に亡くなられている。人生の最後までフクシマのことを思っていただき、誰も責任を取らないこの国の現状を嘆いて逝かれた方々に、強制起訴が決定したことをお伝えしたい。
強制起訴が決定した段階で告訴団の務めを了えることになり、これからは「福島原発刑事訴訟支援団」へと発展的に告訴団を解消する。この裁判は何年続くのか分からないが、責任ある立場の東電の元幹部たちにきっちりと責任をとってもらう判決が出るまで裁判を支援していきましょう。そのために、告訴人から支援団の会員へと移行していただきますようお願いします。
今の我が国は首相を筆頭にして「誰も責任を取らないどころか、誰も責任を感じない」人びとが支配する国へとなりつつある。この裁判は、脱原発社会の実現とともに、こんな国のあり方では駄目だということを見せることでもあると思う。
(さようなら原発1000万人署名・京都の会発行「福島原発告訴団関西支部から」第16号より