編集部
3月30日、午前7時。西成区の花園公園にはたくさんの人が集まっていた。今回の行政代執行は近隣に新しく「小中一貫校」ができることから「子どもに悪影響だ」「テント撤去しキレイな町に」との声が多くあり強制排除に至ったそうだ。行政側は「再三の忠告と話し合いを持っていたが、強制執行するしかないと判断した」ということだそうだが、Fさんの認識では双方向の話し合いの場は持たれなかったとのこと。
今回の行政代執行は、主にFさんの住むテントを撤去するために行われた。現場には朝早くから、彼の仲間や野宿者運動を長く続ける団体が続々と集結していた。公園はもうすでにフェンスなどで包囲されて、入れなくなっていた。
「大阪市建設局は野宿者を排除するな!!」と大きな声が上がり、早朝から集まった面々はFさんのテント前にスクラムを組んで座り込んだ。現地では長くなる闘争のために、おにぎりもたくさん準備されていた。それぞれ顔なじみなのだろう、ともに挨拶を交わしたのち、少しの間穏やかな空気が流れていた。
午前8時20分。警官を筆頭に、青い作業服に身を包んだ大阪市職員がFさんのテントに続々と集まってきた。あっという間に向こうも強固なスクラムを組み、次々と人の柱が作られていく。市職員と公安は指示されているのだろう、各位置についてビデオカメラを構える。怒りの声を上げている人々の顔を、ただただ無言で撮影し始めた。
まもなく市職員のスクラムがずんずんと迫ってきて、身動きがとれなくなった。テントで座り込んだ人々は、一気に引き剥がされる。メンバーが最後まで抵抗するも、圧倒的な勢力によって運び出された。
テント前以外でも市職員のスクラムが組まれていた。介助者と共に車椅子で駆けつけた住人が、スクラムによって押し潰されていく。「痛い、痛い」と声を上げながら身を投げ出しての抗議だ。
テント内に入り込んできた市職員によってFさんのテントに手がかけられ、目隠しのために新品のブルーシートで覆われていくFさんのテント。Fさんは「おれの家やぞ!なにすんねん」と大きく叫ぶ。大阪市の職員はカッターナイフを持って、フェンスとテントの接続部分を容赦なく切断し始めた。はがされるブルーシート、泣き叫ぶ人、怒り罵る人。その中にはあざけ笑うような表情の公安もいるし、逮捕できる瞬間を待ちかまえている警官もいた。そしてテントはあっという間に「キレイに」撤去されていく。
「敵を見誤るな」
業務だからと何も言えないままただ淡々と作業せねばならないのであろう市職員。彼らはロボットのように無表情で、一言も言葉を発さずに撤去作業に集中する。
鍵をかけられた公園の中で、建設局の腕章をつけた職員がマスコミをテントの中に案内するのが見える。昨日までそこに住んでいたFさんは中に入れぬまま、見せ物になっていく彼の大切な生活の場所。その現場には間違いなく、怒りと悲しみが満ちあふれていた。
「こういうときに、黙って泣き寝入りする訳にはいかん。ちゃんと声を上げていかな」-支援者の一人はこう語った。彼の敵は大阪市職員であり、建設局の担当者であり、警察だと言う。
こんなときわたしは、ある活動家が言っていた「敵を見誤るな」という言葉を思い出す。それを思い出すたび「敵は誰なのか?」と考える。
今回いろいろな立場でそこに居合わせた当事者・支援者(と、その支持者)・排除者(と、その指示者)・傍観者…。それぞれどういう思いでそこにいたのだろう。
わたしたちは日常の中でこうやって争うように仕組まれているのではないだろうか?
広く見れば同じ労働者階級なのに、所属や給与、立場や肩書きによって細かく分断されている。このまま殺し合いを続けるばかりでは、状況はいつまでたっても変わらないだろう。
わたしたちの怒りの矛先はどこなのか? 労働者が団結するために本当に必要なことは何なのか? 立ち止まって、いま一度考え直したい。