小説家 森田一哉
清貧な活動家
ウルグアイ前大統領ホセ・ムヒカ。私が彼の存在を知ったのは、およそ一年前。「世界でいちばん貧しい大統領のスピーチ」という絵本を通してだった。本屋で偶然目にして、その場で立ち読みした。「私は新しいことを言っているわけではない、すでにある思想を述べているのです」と本人は語っているが、私のような社会からのはみ出し者にしてみれば、よくぞ言ってくれた、とその大量消費社会の本質を突いた発言には痛快さをおぼえたものだった。
さらに、別の書物やネット等の情報で彼の生い立ちを知るにつれ、このスピーチが多くの人々に支持されている所以を知った。大統領でありながら三部屋しかないごく庶民的な家に住み、資産は中古のワーゲン一台のみ、給与の九割は寄付にあて実質月給十万円というその質素な暮らしぶりには、彼の発言を裏付けるには充分過ぎるほどのリアリティーに満ちている。地球温暖化の危機を唱えながら、自宅で大量の電気を消費するどこかの政治家とは、根本的に異質な存在なのだ。
さて、そのムヒカ前大統領がこの4月に初来日を果たした。その前日にひょんなことから記者会見と講演会に出席する機会を得た私は、取りも直さず上京し、間近で彼の肉声を聞くことができた。
「長時間飛行機に乗ってわざわざ日本にまで来たのは、観光のためではありません。学ぶために来たのです」記者会見の会場でのそれが第一声だった。
ごく普通のシャツにズボン、ややくたびれたブルゾン。イズミヤの紳士服売り場で売られているかのような服装は噂通りで、いくつかの質疑応答のなかでは、そのことについての質問も飛んだ。「私にとってネクタイは、首を絞めつける道具に過ぎない。ネクタイをしたくない人はしなくていい、そういう世界を目指して、私は戦ってきたのです」ムヒカはそう答えて、「とてもいい質問です」と、嬉しそうに微笑んだ。温和でとてもチャーミングな笑顔だったが、「ネクタイをつけないことをもちろん強要するつもりはない、使いたい人は使えばいい」と補足しつつ、自由とは他者への妨害ではないことを強く訴える姿は、一転して活動家としての凄みを感じさせるものだった。
金のために自由が奪われる社会
翌日の講演会は、東京外国語大学で行われた。テレビ局も入り、屋外に設置されたスクリーンの前には会場に入りきれなかった多くの学生たちが集まっていた。約一時間のスピーチと学生たちとの質疑応答のすべてをここで書くことはできないが、一貫して彼の発言の根底に流れるのは、裕福イコール幸福、貧困イコール不幸であるとする金融資本主義に対する強烈なアンチテーゼであった。欲しい物を買うために自由が奪われることの愚かさ。発展という名の下に、個人消費を伸ばすことによって経済を回すという現状のシステムは、何を目的にどこへ向かおうとしているのか。そのことを考えずして未来はないのではないか、と、時折ジョークを交えながら、これからの時代を担う若い学生たちに向かって真摯に訴えかけていた。また、講演を通して彼は、人間は極めて不完全で矛盾だらけの存在であることを強く主張していた。だからこそ政治が必要なのだ、と。
十数年に及ぶ投獄生活では厳しい拷問等、不当な抑圧にさらされ続けた。独房生活の末期には発狂寸前まで追い込まれたという。しかしながら彼は、繰り返しこう述べていた。「憎しみからは何も生まれない」
大統領という権力を手にしても、彼はかつて自身を苦しめた政敵を弾圧することはなかった。それが、ウルグアイのみならず世界中の人々から愛される大きな要因なのだろう。
「勝つこと」に囚われた日本
任期中に彼がどのような政策をとったのか、私は詳しくは知らない。政治家として優れていたのかどうかもわからない。いや、もっと言えば私はそもそも政治のことなど何もわからないのだ。しかしながら、「人生で必要なことは勝利することではありません」とはっきりと言い切ることのできるこのような政治家が、子どもの頃から塾通いを強いられ、勝ち組・負け組などというカテゴリーに閉じ込められたこの日本にもいてくれないだろうか、とそんなことを思わずにはいられなかった。
講演の後は池上彰氏との対談が行われ、その模様はテレビでも特番として放映された。「世界で一番貧しい大統領というのは間違いですね、それは本を売るためのタイトルで、本当は世界でいちばん豊かな大統領なのだと思います」池上氏の発言にムヒカはいたずらっぽく笑い、小さくウインクした。お馴染みの安っぽいタレントたちも出演した番組自体に内容はなかったものの、今回の来日を通して世界にはこのような人物もいるのだと、その存在を知らしめただけで充分に意味があったのではなかろうか。
最後に、講演のなかで彼が自身の在り様を簡素に語った言葉をここに記しておきたい。
私は神を信じていないが、生きるという奇跡を信じている。私は人生という名の政党に所属しているのです。