時評・短評 <棄民>の歴史から考える

「ふくしま」で生きるということの意味

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シネマブロス 宗形 修一

 東日本震災から5年を経て、マスコミの震災報道が増加している。3月9日には、大津地裁の仮処分ながら高浜原発3・4号機の運転差し止めの決定が出た。反原発の運動には援軍になるだろうが、下級審の判決が上級審で覆されるのはこの日本では常にあることなので、決して安心はできないと考えている。
 今回の沖縄辺野古の和解調停も、政権のめくらまし戦術ではないかと疑っている。それにしても、わたしが最近気になるのは、マスコミと総称する新聞・TVなどが被災者に寄り添うと言って報道する視点と、その立つべき位置である。
 高市早苗氏(総務相)の憲法違反の電波停止発言・威嚇よりも「報道」が造り出した虚構の現実がある。「報道」は福島県民の苦悩と葛藤を置き去りにして、「ふるさと帰還」の大キャンペーンを行っている。
 福島県内の帰還困難区域は2021平方キロメートル、ほぼ沖縄県の面積に近い広さである。第一原発があった双葉・大熊の住民は、帰還がほぼ半永久的に不可能であることは認識している。そして、故郷帰還を断念して、それぞれの避難区域での生活の再建を模索している。すべてのマスコミが語る「望郷の念」や「麗しの故郷」は、過去もなかった。福島県の帰還困難区域は、60年代初頭は福島県のチベットと呼ばれた広大な荒野でもあった。その荒地を開墾して、安定した生活を営めるようにしたのは、現在の2代前の世代であろう。それらの歴史を踏まえて今回の双葉郡町村自治体の消滅危機を考えるとき、気持ちの揺らぎだけではなく、彼らが背負ってきた歴史の中から彼らの現在を考えてほしいと思う。
 そこに浮かび上がるのは、日本人として国民がおかれた宿命が見えてくるように思う。それは〈棄民〉である。日本の歴史は、権力の都合による〈棄民〉の歴史でもある。権力中枢が生き延びるため組織の末端から切り離していき、決して責任を取らない体制は、戦前の日本軍部から現在の東電まで、その保身構造は常に引き継がれている。3・11直後の人が途絶えた空白の街で彷徨う私にうかんだ言葉は、まさしくこの〈キミン〉だった。
 福島県民は多様である。マスコミによるモノトーンの人だけではない。同情もいらない。現在おかれている自分たちの歴史の中から、社会との関係性を考え、マスコミの在り方を目にし、自分が語る現実の報道のむずかしさを痛感している。マスコミが立つ立場とは、空中の高みにあるわけではないはずだ。
 今必要とされるのは〈虫〉の視点ではないだろうか、と私は思う。明治以降に生まれた日本のジャーナリズムは、天下国家を論ずるのを常としてきた。そして、戦時の戦争報道で新聞などは大いに部数を伸ばした。つまり戦争応援団であった。
 しかしながら、今回の震災で活躍したのは、時局大局を語る大手マスコミではなく、徹底的な地元密着型のコミュニティーFMでありミニコミであった。あの時自分たちに必要とされる情報は、政府広報ではなく、地元の天候であり、避難所情報であり、医療情報であり、食事・水の情報であった。
 大手マスコミは、それらに応えようと努力し、細かい地域情報も後追いで大量に流しはした。しかし、虫の視点からの報道はなされなかった。矛盾だらけの補償、除染作業の壮大な無駄と作業員の使い捨て政策。福島第一原発事故に使われた約12兆円の費用対効果。県民は大いなる矛盾を抱えて生きている。
 悲しみに沈んでいるだけではない。静かな追悼とも無縁だ。

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