5月13日(月)18:00開場、18:30開始
会場:河合塾文化教育研究所の会議室(いつもと会場が違いますのでご注意ください 豊島区南池袋2-49-7 池袋パークビル5F502号室)
資料代 500円
(報告者)木本将太郎(早稲田大学学生)
今回の発表「市民的不服従とアーレント」は、現在日本の左派運動にとっての非暴力直接行動とハンナ・アーレントの哲学という、発表者の二つの関心を合わせたものです。
非暴力直接行動は現在、沖縄・辺野古の基地建設阻止の座りこみや海上抗議、全国でのレイシストへのカウンターとしての座りこみ、国会前での車道解放など、各地で大衆的に取り組まれています。沖縄は別として少なくとも2011年以降東京では、左派運動の主流言説がリベラリズムに握られてしまっている状態ですが、リベラリズムにとって上のような直接行動はすべて「市民的不服従」という概念の下に包括されます。
しかし市民的不服従の概念は(発表で見ていくように)多くの問題を抱えており、何よりも現場での実際の闘いの経験と適合しないものだと思われます。したがって「市民的不服従」の概念を批判して現実の非暴力直接行動の経験を捉えるという理論的作業は、大衆運動に参加すれば戦闘的に動きながらもリベラルな言葉で語り思考するという、多くの若い世代の意識の矛盾を突破するために役立つのではないか、と私は考えています。(リベラリズムの逆側には観念的アナキズムがあって反対派的な青年層を吸引しており、こちらへの理論的批判も不可欠だと考えていますが、今回は措いておきます。)
ハンナ・アーレントは1970年に「市民的不服従」という論稿を発表し、同時代のアメリカにおける公民権運動とヴェトナム反戦運動で出現した市民的不服従の現象を考察しています。この論稿は『共和国の危機』(邦題『暴力について』)に収められていますが、本書は晩年のアーレントが1968年叛乱に立ち会った記録として非常に興味深いものです。アーレントは非暴力や水平的同意を説いて暴動や学生運動を批判するのですが、その論旨は凡百のリベラリストの抑圧的批判とは別物であり、「暴動と学生運動」の側に立つ者にとっても注目するべき思想であると思われます。本発表ではアーレントの市民的不服従論を読むことで、リベラルな市民的不服従論自体を越えることのできる運動の視点を探りたいと考えています。(木本将太郎)
主催:ルネサンス研究所