「私たちに王はいらない!」 タイの場合、日本の場合


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2月14日(日) 14:00^16:30
会場:つくば市立吾妻交流センター 大会議室(つくばエクスプレス線つくば駅徒歩五分)
参加費 500円
報告 「タイの民主化運動の歴史を学ぶ」藤田康元(大学非常勤講師)/「不敬罪 タイの場合、日本の場合」加藤匡通(日雇労働者)  その後討論
主催 戦時下の現在を考える講座  
連絡先090-8441-1457(加藤)
厳しい不敬罪のあるタイで、それでも進行中の王制批判の意味を考える。王のいない民主主義は私たちに可能か。
一九九二年タイ。前年のクーデターで成立した軍事政権の行った民主化運動への弾圧は多数の死傷者を出していた。五月、国王プミポンが双方の指導者を呼び出すと両指導者は国王の前にひざまずき、騒乱は嘘のように静まった。その光景は国王の威光を示すものとして海外では驚きと共に報道された。前国王は度々こうした「調停者」として振る舞い、タイの国情を安定させてきた。前国王は「父なる王」としてタイ国民から敬愛され、そのカリスマをもって国王が最終局面に登場して事態を沈静化させるあり方は「タイ式民主主義」と呼ばれている。
しかし、三二年の立憲革命以来、タイは立憲君主制をとっている。国王が極めて政治的な動きをして事を収めるのは立憲君主の振る舞いなのだろうか。民衆と王という本来対立するはずのプレーヤーが並び立っている状態は、本当に民主主義なのだろうか?タイの正式名称は「タイ王国」である。
未だに不敬罪が存在しており、タイには王制を批判する自由はない。王室関係者を「中傷」すると一件につき三年から十五年の禁固刑とされる。これは世界的にも最も厳しい部類である。前国王の兄は怪死し、それによって前国王が即位したが、兄王の死の真相は解明されずに現在に至っている。
前国王に対する敬愛は、そのカリスマ故のものであり、彼一人、一代に対するものと言われている。晩年にはその威光も衰え、タクシン派と反タクシン派の対立を調停出来なくなっていた。さらに言えば、前国王に対する支持は王室そのものに対する支持ではない。前国王は立憲革命後、初めてタイに住み続けた国王であり、またアメリカがアジアにおける反共政策の最前線として重視し支持した国王でもある。国王への敬愛は自然に生まれたものではないのだ。十六年に即位した現国王ワチラロンコンは複数の愛人と海外で生活を続けるなどの醜聞に彩られており、明らかにタイ国民からの支持は少ない。
昨年から続いているタイの反政府デモは、当初軍政批判だったが現在その域を越え、これまではほぼ不可能だった王制批判に及んでいる。『ハンガーゲーム』のサインを用い、『ハム太郎』の替え歌を歌いながら行われていると聞くその運動はどのようなものなのだろう。
もちろんそれは対岸の火事ではありえない。私たちのいる国に不敬罪は存在していないが、私たちは自国の王を批判する自由を手にしているだろうか?新聞やテレビで自国の王に対する批判を聞くことはまずない。議会から王制を批判する勢力も消えた。王が替われば時代区分の表記が変わることは当たり前のこととして受け入れられている。かつて王制を批判した雑誌の出版元が襲撃され死者が出たが、今でも王制に反対するデモは右翼に襲撃され、参加者は公安警察に監視される。そして一昨年の代替わりは熱狂的な支持を受け、この国で王制を批判する人々はごく少数にとどまっている。
王を廃止せず、君主国にいる私たちにとって、不敬罪がある国で始まっている王制批判はどんな意味を持っているのかを、共に考えたい。
集会では感染防止対策をとりますが、参加者はマスク着用をお願いします。/感染症の拡大状況によっては会場使用ができない場合もあり得ます。詳しくは連絡先電話までお問い合わせください。

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