人間関係の崩壊進む日本
世界を支配する米国はもとより、世界中で規模の違いはあっても、貧困・格差の拡大と支配者の政治腐敗はどこにも共通している。時にパンを求めて、時に為政者の汚職・不正に、差別に怒る非暴力の人民の行進に、権力は容赦なく襲いかかる。数えきれない犠牲者を出しながらも、人々の行進は今も続いている。権力の暴力は、人民の怒りに油を注ぎ、激しく燃え盛っている。
かつて1960~70年代、世界中で帝国主義に対する第三世界の人民の蜂起が繰り広げられた。当時は社会主義中国とソ連の存在があり、物資援助と思想的影響力を発揮し、世界各地でゲリラ戦を闘う人々との連帯が叫ばれた。日本でもベトナム反戦や反権力闘争が街頭で繰り広げられた。
あれから40~50年。ソ連社会主義は崩壊し、中国共産党は資本主義に大きく舵を切り、第三世界の闘争は無残にも置き去りにされ、ロシア・中国の経済支配下に身を置くか、米帝国主義を中心とするグローバル市場の餌食とされていった。
この半世紀、時は流れたが、米帝国主義や中国・ロシア列強、あるいは多国籍企業の傀儡となり、人民を搾取支配する構造は変わってはいない。
ところで、世界で繰り広げられている人々の必死の戦いと、日本の生温い「平和ボケ」との落差はどこから来るのか。統計によれば、日本の「相対的貧困率」「不平等感」は拡大しているにもかかわらず、衣食住に困る世帯数はわずか数%だという。
日本人の「飢餓感」は、「家族崩壊」「孤立化する高齢者」「生きづらさ」といった「精神的飢餓感」が正体ではないか。殺人の5割以上が親族間で起こっているという事実、隣近所との暴力沙汰、学校内、職場内のいじめ、本来助け合うべき身近な人間関係の崩壊現象が進んでいる。物質的な飢餓は、人々のつながりで克服できる。このことは、過酷な状況下での難民の生活を見ていたら分かる。
日本の精神的荒廃は、政治的荒廃と軌を一にする。森友・加計学園の疑惑隠しがまかりとおり、「桜を見る会」の税金を使った買収、背任横領がまかり通ろうとしている。政治腐敗、政治家の精神の貧困は、末端の地方政治から世相にまで蔓延し、関電をめぐる賄賂、カンポの詐欺商法、カジノ賄賂など相似的腐敗を生み出している。
政治闘争は本来、街頭で行われるべき大衆闘争だ。互いの多様性を認め共に街頭に繰り出し、怒りを直接行動で示さねば日本は変わらない。野党議員も国会にこもらず街頭へ、大衆運動の先頭に立とう。人々と同じ目線で、施政者を徹底批判すべき時だ。その点、山本太郎に学ぶべきことは多い。(編集部 松永)