【イスラエルに暮らして】村で暴行する警察を 撮影記録する活動に参加 イスラエル在住 ガリコ 美恵子

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イサウィヤ村に連帯するイスラエル人

 パレスチナに連帯するイスラエル人は国民の約1%と言われるが、最近、イサウィヤ村への連帯意識が高まっている。


 イサウィヤ村は、東エルサレム北東部にある人口2万人の村だ。就学率が高く、イスラエルで働いて高収入を得る家庭が多い。そのイサウィヤ村へイスラエル警察が集中攻撃を始めて7カ月が経つ。授業中の教室や礼拝時のモスクに催涙弾を投げ入れ、登下校中の児童を殴って連行したりの蛮行が続いている。


 半年間で児童400人を含む600人以上が逮捕された。逮捕理由の大半が「投石」だが、マフムード弁護士は、このように言う、「6割は投石しておらず、尋問所で殴られ、すかされたりするうちに、投石したことにされている。残りの4割は実際に投石、または警官の気に障ることを言ったようだが、子どもが投げた石で大事には至らない。


 よくあるのが、無実の子どもを逮捕し、翌日釈放する嫌がらせだ。警察は釈放条件として、数万円を請求する。親はその場で払うが、すぐに釈放されず、留置所前で何時間も子どもを待たされる。無論違法だ。14歳以下の児童が逮捕された場合は、翌日に裁判されなければならず、親の裁判傍聴を裁判所は認める、と法律で定められている。なのに、警察は親の傍聴を許可しない。


 警察は子どもを逮捕すると、署に着くまでの車内で暴行する。これも違法だ。親を裁判室に入れないのは、殴られて顔が腫れた子どもを見せたくないからだろう。裁判官は顔の傷を見ているが、警官取締管理局に訴えない。仮に訴えても、もみ消され、裁判官の立場が悪くなるだけだからだ。結果として、警察の違法行為は、抑制力がない」。


 こんな状況に対し、イスラエル人活動家が昨年7月、イサウィヤ村で暴行する警察を撮影記録する活動を開始した。


 シフト用メールが毎週、メンバーに送信されるので、行ける日にマルをつけて返信する。当日シフト・リーダーから集合時間を知らせるメッセージが来る。参加者の顔ぶれは毎日異なり、人数は10人程度。年齢層は、杖をついた熟年活動家からアラブとユダヤの共生を求める学校の生徒まで、と幅広い。メンバーは総勢百人。私もメンバーだ。


 ある日、村で子どもを捕まえようとする警察をイスラエル人の仲間と撮影中、15人の武装警官が、突然私たちの方に向きを変えて突進してきた。私は走り逃げたが、逃げ遅れた50歳の女性は突き飛ばされて腕を打撲した。


 また別の日、警官が私用車庫に駐車したので、「停めないでくれ。私用車庫だ」と家主が言うと、警官が家主を殴って地面に突き倒し、武装警官が次々と駆けてきて、殴る蹴るの暴行を続けた。家主を助けようとした隣人も殴られた。私の目の前で起きたことだ。


 撮影していると、警官が催涙弾を連射した。車庫の家に避難したら、そこにも催涙弾を投げ込まれた。催涙ガスで幼児2人が呼吸困難になり、病院に運ばれた。夜中だったが、イスラエル人活動家がハ・アーレツ新聞記者に電話で状況を伝えたので、翌朝、記事になった。

逮捕の覚悟はできている 占領が終わるまで屈しない


 シフト開始から3カ月後、シフト経験者対象に、3人の精神科医によるグループカウンセリング会が開かれた。医者が言った。「イサウィヤ村の撮影シフトに参加して感じたことを、述べてください。溜まっていることを吐き出して」。


 50人が参加したこの会で印象に残ったのは、ハイファから参加した若い女性だった。


 「私は左派でも活動家でもないけれど、新聞を読んで参加した。パレスチナ人に警察があんなにむやみに暴力を振るうのを見て、衝撃を受け、泣いた。家族や友達に自分が経験したことを話したけれど、信じてくれなかったり、わざと話題を変えられて、とても孤独だった。この会で救われた」。


 シフトの結成をよびかけた23歳のイスラエル人女性は次のように語る。


 「私は米国から一人で移民した。イスラエルにはユダヤ新移民優先制度があるから、無料で大学に行った。イスラエルがパレスチナで行う悪事を知ったのは、移民後しばらくしてからだった。


 イサウィヤの村人は、連帯を希望する私たちを歓迎し、この国に家族がいない私は、イサウィヤという家族を見つけた。停戦ライン(東エルサレムと西エルサレムを分ける線)を越える勇気が、私に家族をもたらした。少しでも多くのイスラエル人が、停戦ラインを超え、現状を目で見ることを願う」。


 「イサウィヤ連帯デモ」には毎回200~300人が参加し、「我らはイサウィヤとともに」と書かれた横断幕を掲げ、民衆が声を挙げる。


 エルサレム市長宅前で「市長は警察の横暴を取り締まれ。市長として責任を取れ」と、警察に退去させられるまで声を挙げることもあれば、警察署前で「警察の暴力がイサウィヤを戦場にしている。占領が終わるまで、イサウィヤは屈しない。警察は暴力を止めろ!」と声を挙げることもある。


 11月末のデモでは、写真(1)でメガホンをもつ女性を含む5人が身柄拘束されたが、デモの前夜、彼女は私にこう言った。「明日はサプライズがあるわよ」……。身柄拘束の覚悟はできている、と言いたかったのかもしれない。


 12月末のデモでも、16歳の高校生を含む5人が身柄拘束された。イスラエル人によるパレスチナへの連帯は、占領が終わるまで、広がり続ける。

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