故中曽根元首相の
ろくでもない「業績」在野の哲学者・文筆業 栗田 隆子
元首相の中曽根康弘が101才で死んだ。死因は老衰とのことで、まさに大往生である。サッチャーが亡くなった時、人々は乾杯をし、映画監督のケン・ローチは以下のコメントを残した―「彼女の葬儀は民営化しよう。競争入札にして、一番安い応札者に決めよう。彼女はそれをこそ望んだろう」。
さてそのサッチャーとほぼ同時期に首相であった中曽根氏の『業績』とは何か。
電電公社の民営化、国鉄の民営化。男女雇用機会均等法に並んで、いわゆる専業主婦の優遇と言われるような第3号保険制度や、その後の労働環境に悪い意味で深く影響を与えた派遣労働法を成立させたのも、彼の首相の時代だ。そして目立たないが、実は労働基準法を規制緩和させて変形労働時間制を導入したのもこの時期。何よりの彼の『業績』といえば、国鉄の民営化に伴う国労の解体、ならびに総評の解体だ。
さらに、靖国神社の公式参拝。原爆症患者に「病は気から」と発言したことなど、いまどきのナショナリズムとネオリベと、ついでに政治家による妄言の基礎?をつくったといってよい。
さらに、彼が首相になる前の『業績』もなかなかのものだ。松浦敬紀著『終りなき海軍』(文化放送開発センター出版部、1978年6月15日発行)という本では、中曽根が戦時中に23歳で3千人の総指揮官だったこと、そしてその3千人の大部隊のために、「私は苦心して、慰安所をつくってやった」と、証言している。さらに、原子力発電の法的根拠である原子力基本法を推し進めたのも彼だ。
未来へ影響
そんな彼のやってきたことは当然、ろくでもない影響として残っている。かつて国鉄時代には、ストライキで電車が動かないなんてことが日常的に起こっていたのが信じられないほどの労働運動の衰退、さまざまな雇用形態による女性たちの分断、戦時性暴力の問題、そして原子力発電の存在も。ちなみに、彼が原子力発電利用を推し進めた際の演説の締めくくりは以下のようなものであったという。
―「われわれが、雄大な意図をもって、20年、30年努力を継続いたしますならば、必ずや日本は世界の水準に追いつくことができ、国民の負託にこたえることができると思うのであります」。
彼の『雄大な意図』は、半永久的に放射能がなくならない世界を作るほどに『雄大』で、迷惑この上ない。
さて、2012年に安倍晋三氏が首相となって、はや7年すぎた。2009年に民主党政権になったのが、ほんのほんの束の間に思えるほど、この7年は長い。そして、この時期に決まってしまったさまざまな出来事は、おそらく何十年もの未来に影響し、しかもその影響は取り返しのつかないような形で残るのでは、と思えてならない。政策や制度は、制定された瞬間よりもその後何十年も後になってからこそ影響を与えるものだと、私は中曽根政権の施策から学んだのである。
さて、中曽根康弘氏の葬儀は、内閣と自民党の合同葬で行われるそうだ。
彼の死に乾杯する人もいなければ、競売にかけろと提案する人間もいない忘れっぽいこの日本では、ずるずると多額の税金を使う合同葬を許していくのだろう。この葬式のおこなわれる日に、私は何をしようか。情けない過去を知り、省みることで未来を変える算段を立てる日にしたい。酒でもちびちび飲んで。
常識の軸を動かした
韓国フェミニズム運動 延世大学国語国文学科博士課程在学 影本 剛
2019年に注目されたのは、文在寅が検察改革のために登用した法務大臣・曹国に関する一連の事態だ。検察は、曹国の家族親戚を全て調べ上げ周辺人物を逮捕したが、目的の曹国自身を起訴できていない。
韓国検察は、歴史的に民主化運動への弾圧機関として用いられ、日本検察より相対的に権力があり、検察出身の国会議員も多い。これを本格的に改革しようとした曹国は、法務大臣を1カ月余りで辞職したが、核である検察改革と高位公職者犯罪捜査処(検察が高位公職者を捜査すると曖昧になるので別機関を創設)の設置は、今なお重要課題だ。19年12月現在、2020年4月に控えた国会議員選挙制度法案を中心に国会は荒れているので、検察関連の動きは後回しにされている。
曹国事態は、日本でも執拗に報道されたので周知だろうが、若者たちの冷笑的感覚は印象的だ。曹国は法的に問題なかったが、しかし彼の子どもが高校生で学術論文の筆者になったなど、大学入試に臨む特権的立ち位置は若者たちが曹国を支持しないしこりであった。そして、そのような「不公正」がないように、大学入試の推薦入試枠を少なくしようという議論もでた(しかし推薦入試枠を減らし学力試験枠を増やせば、有名塾に子どもを送れるソウルの富裕層が有利になる)。
そもそも曹国は、李明博・朴槿恵政権時代には「江南左派」(江南はソウル最高級住宅地)と呼ばれ、進歩派を冷笑的に見なすさいの代表的論者でもあった。「検察改革支持・曹国守れ集会」に参加する人々に対する冷笑的目線は、「世代論」言説をつくりだした。
しかし世代論は、常に何かを無理やり丸め込む議論でしかなく、巻き込まれてはならない。50歳代以上が社会的権力を持つのは、現代韓国に特殊なことではない。日本の韓国報道は、この冷笑的視点に留まる場合が多いが、そこから抜け出すさまざまな岐路は当然存在し、それこそが重要だ。
時空をまたぐつながり
そのような2019年後半、ドラマ「椿の花咲く頃」(最高視聴率23%)は、決して冷笑的にならない姿を示す。家族と恋愛という見慣れたテーマがドラマの下敷きであるが、扱われるのは、男の支配から堂々と抜け出す女たちの物語である。居酒屋の女性店主が、「私が売るのは酒であって微笑みではない」という宣言から始まるこのドラマは、ここ数年の韓国フェミニズムの政治的進展が社会常識の軸を確実に動かしたことを示す。
しかもこのドラマは、国営放送KBSで放映された。この背景には「常識」としての知識体系が持つ抑圧性を示し、その土台を掘り下げて批判するフェミニズムの議論がある。問題を個別ではなく、構造と制度自体の暴力として明らかにし、研究者・活動家・被害者の分離を最小化するためのフェミニスト的知識生産として突き進めていく『ミートゥーの政治学』(2019)をはじめとする、刺激的な本が多数出版されたことを記しておきたい。日本で持続的に出版されている韓国の同時代小説も、同じ背景だ。
香港デモでは、80年の光州事態を描いた映画『タクシー運転手』が言及され、香港中文大学への警察攻撃時には韓国の87年民主化運動時、延世大学前で催涙弾の水平射撃で学生が殺されたデモが想起された。時空をまたぐ思いもよらぬつながりは、2020年にも惹き起こされるだろう。