11月12日香港、5カ月以上延焼し続けている香港民主化運動は、香港中文大学の戦いでピークに達した。前日の攻防戦に続いて香港警察は、朝7時から大学キャンパスに不法侵入しようとした。 午後にはいると、香港警察の催涙弾、ゴム弾に対して、学生たちは、バリケードを設置。テーブルなどを盾とし、侵入者に向けて火炎瓶やレンガなどで反撃し続けた。「ハリポタ」の最終決戦=「ホグワーツ防衛戦」を連想させる戦いは、深夜まで続いた。
香港中文大学には3つの入口があるのだが、衝突が最も激しかった時の「2号橋」周辺は、まるで戦場だった。催涙ガスの白い煙と匂いが満ちて、鋭い銃声が止まらなかった。
20時頃、混乱の中、学生たちは防衛ラインを死守しながら、「光復香港、時代革命」の黒い旗を振り始めた。学生たちの闘いを見て、香港市民は決して見殺しにしなかった。市民たちは、「人間の鎖」で大学に物資を運び、前線に直接参加する市民もいた。これに加え、警察の戦力を分散させるため、すべての地区で一斉デモも行われた。このため11月12日は、香港すべての地区が、催涙弾の洗礼を受けたのである。
中文大学生と市民の反発を受けて、警察側は22時頃、撤退を宣言。これ以上追撃しないよう学生側に要求したにもかかわらず、一時撤退後に、再び増援部隊を派遣し、突入を準備し睨み合いは続いたのである。
大学側の対応についても報告しておきたい。衝突の間、香港中文大学長=段崇智氏は現場に駆けつけ、警察と交渉しようとしたが、催涙弾を撃たれた。また同大学元校長=沈祖堯氏は、香港屈指の医者たちを率いて現場に赴き、学生を支援した。衝突の中、5人の大学生が逮捕されたが、3人が保釈され、2人は病院で治療を受けている。この日だけで、学生側には60名以上の負傷者が出た。