あいちトリエンナーレ2019
「芸術や文化はなくても生きられるが、ないと生きている意味がなくなってしまう」―つまり芸術文化は、社会の豊かさのものさしでしょう。アベさんからは「なくても平気だもん」との声が聞こえそうですが、作品の発表や鑑賞が日本国憲法で保障された権利となるとワケが違います。
10月14日で75日間の会期を終え、入場者数は65万人以上で過去最高となった、国際芸術展「あいちトリエンナーレ2019」。しかも、首長たちの発言が引き金になり炎上し、企画展「表現の不自由展・その後」は中止、再開にこぎつけた後も国は、文化庁が採択した文化資源活用推進事業補助金約7800万円を異例の全額不交付と決定しました。芸術が政治的な駆け引きに利用された悪しき前例となり、「表現の自由」の萎縮に拍車がかかることは必至です。
公権力の役割は、市民の表現活動を抑圧しない、第三者による表現の抑圧行為から表現を守ることです。また、公務員には国民の権利・自由を保障する憲法の尊重擁護義務があるのに。
中でもヒドイのが、河村たかし名古屋市長。8月1日の開幕セレモニーでは上機嫌だったそうですが、翌日には松井一郎大阪市長からの指摘で初めて企画展を視察(あいトレ実行委員会会長代行でありながら!)。「日本人の心を踏みにじるものだ。即刻中止を」と述べ、ネット上の批判や抗議の電話を「それこそ表現の自由」と焚き付けました。おまけに、企画展が再開された10月8日には思わず苦笑の、顔ドアップ写真入りTwitterを上げ、会場前でたった7分間の座り込み。もっとも企画展の趣旨にかなったパフォーマンスアートとも言えますが……(そもそも座り込みとは、権力者の横暴に対する抗議ですが、河村氏は市長じゃね!?)。
多くのアーティストが連帯「抗議の声」が希望
この件で、芸術や文化という非日常的な事象が、実は私たちの生活の根本ともいうべき「権利」に大きく関わっていることに改めて気付かされたことは、非常に有意義だったと思います。私も8月20日、企画展のある愛知芸術文化センターを訪れましたが、閉館間際でも多くの人で賑わっていました。会場にもアーティストたちの抗議活動が多々あり、閉鎖扉には来場者たちの抗議付箋メモがありました。
今回、署名を集めたり抗議文を送るなどの抗議や、関係者との協力・観客との連帯めざすなど、多くのアーティストが自らが動いたことは希望です。何より、これからのアート界をけん引していくであろう東京藝術大学学生たちの行動には奮えました。
私が暮らす宝塚は、今までも度々ヘイト集団や右翼団体の標的となりましたが、来春には文化芸術の拠点をオープンさせます。9月議会の質問で展示内容の基準を問うたとき、「基準を設ける予定はないが、表現の自由が憲法第21条に保障されており……侵すことの許されない権利であることを認識し施設運営を行う」と明言しました。市民やサポーターとともに今後を見守っていきたいと思います。