【東京五輪の返上を】五輪の問題点はパラも全て同じ 批判しにくい空気を打ち破るために 神戸大学大学院国際文化学研究科教授 小笠原 博毅

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【連載】第3回 障がい者差別助長するパラリンピック

 パラレルオリンピック(以下パラリンピック)は通常、オリンピックの日程が終了してから、同じ都市、同じ施設、同じようなボランティアの協力を得て実施される。東京で行われる予定のパラリンピックは、オリンピックと同じ行程を経て招致された。だから、放射能が「アンダーコントロール」だという嘘、賄賂疑惑、住民の強制立ち退き、都市の環境破壊など、オリンピックへの多くの批判は全て、パラリンピックに対しても当てはまる。  

しかし、パラリンピックを声高に批判することには、ある種のためらいがつきまとっている。それは、パラリンピックが「障がい者」の競技会だとされているからでる。  

「社会参加が限られている障がい者の機会を奪うのか! がんばって障害を克服して晴れ舞台に立とうとしている道を閉ざすのか! それは差別ではないのか!」―こうした反批判におびえ、「なんとなく批判が許されない」気配が漂っているのではないか。しかし、そうした反批判は的はずれである。それどころか、的自体が見えていないか、見ようとはしていないものだ。  

本年8月26日のNHK「ニュース・ウォッチ9」は、民間の「障がい者総合研究所」が実施した調査を報告した。それによると、アンケートに答えた人の半数が、パラリンピックをしても社会の障害者への理解は進まないと答え、半数以上の人がパラリンピックを観戦したいとは思わないと答えていた。「パラリンピアンは特別な人々」であり、障害者への配慮も「一過性に過ぎない」という「負の感情」が強いという結果。つまり、パラリンピックと障害者の社会生活との間には、主催者やメディアが強調するほどの関係性はないのである。  

それどころか、同じNHKの放送文化研究所が平昌パラリンピックについて行った調査によれば、「パラリンピックは障がい者間の差別を助長する」という意見が出されている。障がい者支援の現場からは、パラリンピアンが頑張る姿を映せば映すほど、「障がいを持っていても頑張れ」という圧力が強くなるという声も聞かれる。「なぜ努力しないのか?」というわけだ。後天性か先天性か、身体のどこにどのような障がいがあるのか、障がいの度合いはどの程度なのか。個人によってまったく状況は異なる。それに障がいとは、健常者からの基準で測られるカテゴリーにすぎない。結局パラリンピックは、オリンピックと同じように、エリート・スポーツでしかない。  

リハビリで戦場に戦士を送り返す場に

1948年のロンドン大会で車椅子の負傷兵がリハビリの成果としてアーチェリーを引いて以来、身体だけではなく、過酷な戦場での体験が引き起こすPTSD(心的外傷後ストレス障害)などで苦しむ元兵士が、パラリンピアンとなって社会復帰を果たし困難を克服するという物語は、パラリンピックのデフォルトとなった。  

近年、さらに戦場との直接のつながりが顕在化している。同じくNHKの「クローズアップ現代」(2016年8月26日放映)では、アメリカ代表のパラリンピアン10人に1人がイラクやアフガニスタンに出征し負傷した元兵士であり、パラリンピックが「戦場の悪夢」を払拭する場になっていると紹介されていた。  

パラリンピアンの姿を見せて他の負傷兵に勇気を与えるのみならず、パラリンピックに出場しリハビリ成果が認められれば、再び戦場に向かうことができるという現実が語られていた。「平和の祭典」であるはずの五輪が、戦場のサブトラックとなっているのである。  

かつて、イギリスのSPEED社が開発した「レーザー・レーサー」という水着を着用した選手が圧勝するレースが続き、同製品の利用は現在禁止されている。義肢や車椅子などを用いるパラリンピックは、同じように「よりよい」用具器具と身体の相性を試す現場ともなっている。障がい者をいっそう生きにくくし、兵士を再生し、用具器具と人工身体の見本市となっているパラリンピック。一体何を競技する場なのだろうか?

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