暴れ回るイスラエルの国家保安局「シャバク」
カイロ出身の 妻の居住権を却下
深夜、国家保安局「シャバク」が護衛を連れてミタブ家にやってくる。玄関を壊し、窓ガラスを割り、家主アリを寝床から引きずり出して脅す。シャバクとは、ヘブライ語のシェルート・ハビタホン・ハクラリ(総合セキュリティ・サービス)の略語。頭文字を取って「シン・ベット」とも言う。
エルサレム旧市街のヘロデ通りに面した商人家に生まれ育ったアリ・ミタブは、1995年にガザ出身の母をもつエジプト商人の娘を妻に迎えた。当時16歳だったアリは、オスロ合意が交わされた直後だったので、国境を越えた結婚は問題ないと考えた。当時の首相イツハク・ラビンは、占領地返還を約束していた。しかしラビンは暗殺され、右派政権が台頭した。
イスラエルには、血縁または婚姻関係にある者に居住権を与える法律がある。アリは、妻の居住権請求を内務省に申請した。ところが当局は、「妻の母はガザ出身だから、治安上の理由により居住権請求は却下。出国すれば再入国は許可しない」と返答。
だが私自身は、ユダヤ系イスラエル人ヨセフ・ガリコと結婚後、半年で居住権を取得できた。
アリは弁護士を雇い、裁判で闘った。判決は「却下。国境および検問所の通過も無許可」。妻は危篤の両親に会えなかった。
アリ夫妻は、3人の娘と4人の息子に恵まれた。居住権取得裁判に出費が重なるので、アリは収入が安定する建築業に転業した。
今年1月、ミタブ家に路地を隔てた隣家が入植団体の手に渡った。3階建ての建物で、地階はパレスチナ人が営む薬局、上階はパレスチナ人住民だった。アル・ジャジーラ紙によると「家主は別のパレスチナ人に家を売却し渡米。その後、家の権利はパレスチナ自治政府管理局の手に渡り、別の人物を介してユダヤ入植団体の手に渡った」。
家族を次々と逮捕、子どもにも暴行 弁護士費用と釈放金の重い負担
ミタブ家の地上階は、何百年も窯を使ってきたアブ・スネーネ家が営むスフィハ(アラブ風ピザ)屋だ。トマトと玉ねぎがトッピングされたスフィハは、舌を鳴らすほど旨い。
隣家が入植者の手に渡った日、スフィハ屋の息子マーリック(21)が、逮捕された。理由は「入植者にとって危険な人物でないかどうかを観察するため」だった。外出禁止1週間と4万円の釈放金で釈放された。
シャバクは、ほぼ毎週来る。ここ1年弱で、ミタブ家の長男は10回、次男が3回、3男は2回、尋問を名目に逮捕された。その都度、弁護士費用と釈放金が家計にのしかかる。
さらに9月13日深夜、隣の入植地へ火炎瓶が投げられた。大事には至らなかった。犯人は不明だ。翌日、スフィハを焼くマーリックを、乱入した警察が逮捕した。
2日後、警察はミタブ家にも乱入し、スフィハ屋でアルバイトする3男モハマッド(15)を逮捕し、同時に母イム・イサ(42)を、居住権無所持の理由で逮捕した。泣いて母に抱きついた末息子(11)は、手錠で縛られ、骨にひびが入った。イム・イサは12時間後に釈放された。
10日後、マーリック、モハマッド、友人ユーセフの裁判があった。判決は「尋問官によると、犯人逮捕につながる情報を彼らは持たない。各自1000シェーケル(約3万3千円)を払えば釈放する」。
シャバク怖さに家を離れれば没収 この酷さを日本の人々に伝えたい
ユーセフの母が叫んだ。「不当だわ! 息子は何もしていない。それなのに釈放金っておかしいじゃないの!」。しかし、セキュリティ員が彼女を力づくで法廷から連れ出した。
イスラエル人左派が警察や軍を訴える裁判を担当したこの裁判官は、「相手が誰であれ、法に添った判決をする」と断言したことがある。私の顔を覚えていた。休憩時に目が合った。彼は立ちすくみ、無力に目を伏せた。
マーリックは、釈放された2日後に再逮捕された。「拷問室に入れられた」と彼の父が耳打ちした。
その夜、シャバクがアブ・イサをたたき起こした。「協力しないなら、お前の妻を国外追放にしてやる。屋根の小部屋を潰して罰金を払わしてやる。お前の家族はいくらでも逮捕できる。お前は借金だらけになる。地獄に突き落としてやる。俺は警察より、裁判所より、力を持っているんだ」。
当局の狙いは、占領下に住むパレスチナ人が暮らしていけないようにすることだ。シャバク怖さに、一家が一定期間、別の家に住んだとする。すると「不在者財産管理法」により、家は国に没収されてしまう。
イム・イサが言った。「日本の人々に私の話を伝えてください」。